昨日は卒業式だった小学校が多かったみたいで、そんな雰囲気の人たちを何人か見かけた。
一昨日は忍介の学区の中学校に「三者面談」で行ってきた。
と言っても忍介は行かないというので、僕と奥さんとで行ったんだけど。
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実際には一度も行っていないにも関わらず、地元の中学校には忍介の「籍」があることになっている。
デモクラティックスクールは文科省に正式に認可された学校ではないからだ。
なので、建前としては忍介は地元の中学校に在籍してることになっていて、こうして三者面談の連絡があるし、本人の「進級」についての意思確認がある。
変な話だけど。
幸いと言うべきか。
同じ中学校に籍がある子で、忍介と同じデモクラティックスクールに通う子が1人いるのと、うちの奥さんが去年の4月に忍介のこれまでの経緯と、デモクラティックスクールのことを懇切丁寧に説明してきた甲斐もあって、学年主任も担任の先生も、忍介がスクールに通っていることをある程度は理解してくれている。
「一応、その、言葉は悪いですけど、“生存確認”と、進級の意思確認が必要とのことで、お時間いただきました」
という言い方を学年主任の先生はしていたけど、
忍介がデモクラティックスクールや家庭でどんな風に過ごしているか伝えて、少し雑談をして、来年度の教科書を取りに行く日程を話したり、
そんなこんなで20分くらいであっさり「面談」は終わった。
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普段、中学校というものに入る機会がまったく無いので僕には新鮮だったんだけど、
思ったのは、この空間は何というか、妙な圧迫感があるというか、心からくつろげる雰囲気ではない場所だなあ、ということだ。
少子高齢化と言われて久しいけど、その中学校には一学年300人以上の生徒がいる。
思春期の、面倒臭い年頃の子たちが1,000人も、たいして広くもない一箇所に集められている。
その空間が持つ濃密なオーラというか、異様な磁場というか、
そんな息苦しさを感じた。
ちなみに、忍介ともう一人の子以外に、フリースクールや別の場所に通う子がどれくらいいるのか、先生方に聞いてみた。意外にもそういう子はこの2人だけらしい。
最初から—つまり入学式から来なかったのは300人以上のうちこの2人だけで、
でも今、学校に来ていない子は学年で何人かいます、
とのことだった。
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気になるのはもちろん、入学式に来てこの一年の間に学校に来なくなった「何人かの生徒たち」のことだ。
きっと今、辛い思いをしているんだと思う。
同じくで、親御さんも。
でも、
学校が合わないというだけで、
あえて言うなら、たかがそれだけのことで、
それだけのことで、だ。
どうして子どもも親も、苦しまなくちゃいけないんだろう?
”公教育の学校に行く”という以外の選択肢が、もっと一般的になればいい。
あと、”行ってもいない学校”に「籍」だけあるとか、やっぱりどう考えても自然じゃない。
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今日のびーんずネットのセミナーでは、そのあたりをみなさんと考える良い機会だと思っています。
10:00から、ノクチカでお会いできるのを楽しみにしています!

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