不登校という名のギフト

不登校という名のギフト
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今は昔。
って、もう5年も前のことだけど。
当時小学校三年生だった息子が不登校になった。

奥さんも僕も、慌てたし、迷い、傷つき、落ち込んだ。
息子の通う学校の5年生の子で一人不登校の子がいる、という情報は聞いていたけど、率直に言って、不登校は遠いどこかの見知らぬ誰かの問題だと思っていた。
”まさか、自分の息子に限って”という思いだった。

不登校が続いて1ヶ月くらい経った時、孫の不登校を知った僕の父が電話をかけてきて、

「無理やり引っ張っていってでもあの子を学校に連れていかなくてどうする?」
と叱った。

離れて暮らす僕の両親も心配だったんだろう。
確かに説明も足りていなかったかも知れない。

そうして、僕から自分の両親にあてて息子の状況を伝える”忍介通信”を不定期でメールすることにした。

***

結局半年間、息子は殆ど外に出ることが出来なかった。
はっきり言って、全てがしんどかったし、辛かった。

でも今にして思う。
これは、あくまでも僕ら夫婦にとってはだけど、不登校という名のギフトだったな、と。

結局のところ。

不登校で一番辛いのは子どもだということ。

子どもは親の所有物ではなく、立派な、対等な一人の人間だということ。

学校へ戻るのが真の解決ではないということ。
自分に自信を持ち、周囲や社会に対して強く自発的に立ち向かっていくことができるようになることが真の解決であって、それは親の問題ではなく”子ども自身の問題”であること。

僕らの場合に関して言えば、その理解の過程なくしてものごとは1ミリも好転しなかったし、そして突きつめて言えば、それは”親が変わる必要があった”ということだった、と思う。

息子の不登校は、僕ら親が変わるチャンスを与えてくれた贈り物だった。
彼の勇気ある、きっぱりとした意思表示のおかげで、僕はそれこそコペルニクス的な価値観の転換をはかることができた。

そもそも学校ってなんだ?
なぜ学校に行かないことを世間は異常扱いするのか?

いや、違うな。

なぜ自分は、息子が学校に行かないことを異常扱いするのか?
それって、そもそも論だけど、本当に異常なことなのか?
ぜんたい、義務教育ってなんだ?
勉強ってなんだ?なんのために、誰のためにするものなのか?
学歴って、なんだ?
いい人生って、なんだ?

率直に言うと、そんなことを考えてみたことは、これまで一度もなかった。

ともあれ。

落ち込み、悩んでいたあの暗い半年間。
仕事の合間の昼休みに、自分の両親宛にメールで息子の状況を綴った”忍介通信”を送り続けた。
全部で18通送ったそれらの記録を読み返してみたら、当時の気持ちが鮮やかに蘇ってきた。

現在進行形で不登校に悩む人たちに、僕らのこの時の経験が少しでも役に立てれば。そう思った。

男性目線から見た不登校、という意味でも、悩めるお父さんの助けになれば、幸いです。

以上、まずはご挨拶まで。

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