常々、不思議に思っていたことなんだけど。
3Dは素晴らしいのに、2Dは
ミロのヴィーナスにしろ、
運慶快慶の金剛力士像にしろ、
立体的な作品は
古代から驚くほど完成度が高い。
とっても写実的だ。
それに引き換え、同じ時代の絵画の方は
どうして立体作品に比べて
あんなに写実性が低いのだろう?
僕は美術に詳しい訳じゃないので、
もしかしたら別の見方があるかもしれない。
でも、一番大きいのは
「遠近法」で描いているか、
そうでないかがあると思う。
ルネサンス以降の西洋絵画は
明らかにそれまでとは別物だ。
遠近法の「発見」があったからだ。
意外なくらい、気がつくのは難しい
現代を生きる僕らからすれば、
遠近法なんてまったくもって当たり前だ。
そうですよね?
小学生だって高学年にもなれば
パースを効かせた絵を描く。
でも遠近法がルネサンス期に
「発見」された、と言われるように、
人類は何千年も遠近法で
2Dを描くことができなかった。
3Dでは完璧に表現できていたのに…。
遠近法にしても、
コペルニクスの地動説もそうだけど、
気がついてしまえば
なんてことないかもしれない。
でも意外なくらい、気がつくのは難しい。
僕にとっての遠近法の発見
いきなり卑近な話にしてしまって
申し訳ないんだけど、
学校や学歴をどう捉えるかについて、
遠近法や地動説に近い感覚を、
今は持っている。
忍介が不登校になったのは
当時の僕には結構な青天の霹靂で、
それこそ慌てふためいた。
何度も彼に学校へ行くように促した。
脅してすかした。
そしてアイスクリーム療法に行き着いて、
きちんと彼のことを信じようと
思うようになった。
同時に学校や学歴のことも何度も考えた。
そうこうするうちに気がついた。
自分が強く囚われていた考え、
自分が親から受け継いできた考えは、
どうやら根拠のうすい
迷信みたいなものじゃないか、と。
色眼鏡を外して見ると、
学校や学歴を強固に信じることは、
遠近法を使っていない絵を
見ているような気分になってきた。
学校や学歴に囚われていては、
物事の「奥行き」は見えないのだ、と。
決して遠近法を使っていない絵に
価値がないと言っているのではない。
ただ僕はそう思うようになった、
という話です。
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