窓を閉めるということ

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娘がソファーで動画を見ている。
いつもは無邪気にキャッキャ笑いながら
見ているのに、どうやら様子が違う。

笑わないどころか、嫌そうな顔をしている。
iPadをのぞいてみると、
YouTuberによるゲームの実況動画だ。

どうしたのかと聞いてみると、
このYuoTuberの物の言い方が
汚くて嫌なのだ、と言う。

「うぜぇ」
「クソじゃん」

みたいに言うのを聞くのが嫌なのだ、と。

嫌なら見なければいいというと、
「お友達のオススメ動画だし、
後から「どうだった?」と
聞かれるだろうから」と顔が浮かない。

そういう動画が好きな人もいれば
嫌いな人もいる。
合う合わないの問題。良い悪いじゃない。
だから友達には
「ちょっと合わなかった」と言えばいいし、
「そんな動画を見るなんて」
と友達を嫌いになる必要もない。

寒ければ窓を閉めるでしょ?
寒くない人もいるけど、
あなた寒いの苦手でしょ?

――という説明がとても良かった。

「not for me」という考え方があります。
特にゲーム界隈でいつからか聞くようになった言葉なんですが、「これは私の為のコンテンツではなかった」と。
別にそのコンテンツを楽しむ人がいることを否定はしないけれど、私には向いていなかった、私には楽しめなかった、と。

私はこの考え方、すごーく大事だと思っていまして。
自分に向いていないコンテンツを無理に楽しむ必要はないし、かといってそのコンテンツ自体、あるいはそのコンテンツを楽しんでいる人に水をぶっかける必要もない。

そういう時に、いわば「窓を閉める」言葉として、「自分には向いてなかった」という風に思考のチャンネルを変えて、穏やかにそのコンテンツの摂取を止めることって、すごく大事なことだと思うんですよ。
それは自分の心を守ることでもありますし、またそのコンテンツを楽しんでいる他の誰かを尊重することでもあります。

窓を閉める言葉として。

自分には向いてなかった。
not for me だった。

それは自分の心を守ると同時に、
楽しんでる他者を尊重することでもある。

これは本当にその通りだと思った。

自分には向いてなかったから見ない。
楽しめない自分を責める必要もなければ、
自分が楽しめないからといって
それを憎む必要もない。

ただ単にnot for me。

これ、
学校でも会社でもそうじゃないだろうか?

合わない自分を責める必要もない。
かといって憎んだり呪う必要もない。

シンプルにnot for meだった。

寒いから窓を閉めている。

なんで窓を閉めるのか?
と問いただしたり。
自分は窓なんか閉めたことなんてない、
と言ってみたり。

そういうのは違うよね、と。

深ぁーく、納得した次第。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。