忍者好きにして、制服フェチ

忍者好きにして、制服フェチ

息子は忍者好きで、そして制服フェチだ。

 

忍者について。

最初の興味は、テレビの「忍たま乱太郎」だったと思う。

うちの奥さんが調べてくれて、忍者道場があることを話すとすぐに「やりたい!」と。

電車で小一時間かかるその忍者道場に、小学校一年生の冬に入門した。
通い出すと、驚くくらい熱心に励んだ。
翌年、道場全体のMVP賞を取って、ますます彼は熱心になった。

色んな本を読み、武器の種類や呪文を覚える。

「大きくなったら忍者になりたい」
「どうして現代には”忍者”という職業がないの?」

と、真剣に言っていた。
目立たずあくまでも控えめで、
それでいて神秘の技を駆使して陰ながら活躍する。
忍者たちのそんな姿が彼の心を惹きつけたみたいだった。

習い事といえば、一年生の時にちょっとだけ公文をやったけど、
結局続かず、すぐに辞めてしまった。

以後、忍介の習い事は忍者道場だけだった。
本当に熱心だった。
忍者の里の伊賀に行き、甲賀にも行き、
嬉野温泉忍者村、京都太秦、戸隠忍者村、日光江戸村、
とにかく忍者に関係するところにはくまなく出向いた。
忍介の誕生日には、サプライズで赤坂の”忍者レストラン”に連れていった。

小学三年生の、あの不登校の時期も、
ほぼ唯一、外出したのは日曜日の忍者道場だった。
忍者道場だけは休まずに行った。

今にして思えば、これってすごいことだったな、と思う。

***

そして制服フェチだ。

幼稚園に入って以降、いかなる時も
幼稚園の制服(青のジャージ上下)で過ごした。

休みの日も、家にいるときも、寝るとき以外は
いつでも幼稚園のジャージだった。
電車に乗るときも、遊園地に行くときも、
レストランに行くときも、
ディズニーランドに行くときも、
飛行機に乗って帰省するときも、
必ず青の上下のジャージだった。

その三年間、最後まで制服を着続けた。
年中の時は皆勤賞も取って表彰された。
忍介は本当に幼稚園と制服が好きだった。

「ねえ、なんであんなに幼稚園の制服が好きだったの?」

この文章を書くにあたって昨日、10年前のことを
一緒に駅まで歩く途中で13歳になった忍介に聞いてみた。

「そんなに毎日制服着てたかなあ?覚えてないな。
でも青は好きな色だからね。それがあったんじゃない?」

と、まるで他人事な返事だったけど。

卒園して3年も経たずに、彼が小学校に行くことを拒否し始めたことを思い返す時、
幼稚園時代の制服のことがひどく切なくなる。

***

以上、忍介について紹介でした。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。