折に触れて言っている。
変わらなければいけない、と。
誰が?
僕ら保護者こそが、と。
やっぱり、詰まるところは
僕ら親が勇気をもって変わることだ。「子どもたちが伸び伸び楽しく過ごすこと」
それを第一にして、変化を受け入れる度量が
僕ら大人世代ひとり一人に求められている。
な・ん・だ・け・ど。
どこか自分でも若干、
説得力に欠けるなあと思いながらいた。
具体的に言えてないので
恐らく響きにくいだろうなあと。
なのでね、
見事なこの言語化が素ン晴らしーと思った。
長い記事じゃないので、
ぜひ全文読んでみてください。
全文お読みいただいた前提で進める。
主体的に学んでいるのか?
それとも放任しているのか?
→保護者の捉え方が大事
ここ、なんだと思う。
ほぼ全ての問題点は。
大人から言われた通りにピシッとできた。
練習してきた通りにちゃんと綺麗にできた。
ここに「子どもたちの成長」
を感じていてはいけないのだ。
もう一回言う。
こっちに成長を感じていてはいけないのだ。
僕が運動会の組み立て体操や
厳粛な卒業式に感動する保護者に
いつも違和感を覚えてしまうのも、
つまりはココのところだ。
運動会にせよ、卒業式にせよ。
保護者のためのものじゃないのだ。
保護者のためであってはいけないのだ。
残念ながらこの国では完全に子どもではなく
保護者のためのものになっちゃってる。
それが間違いの元凶とも言える。
まずそこを、芯から僕ら親世代は理解して。
「子どもが主体性を発揮できるようになる」
それを、時間をかけて温かく見守る
度量と忍耐こそが必要なのだ。
そしてそれは現場の先生たち以上に、
何より僕ら保護者に求められているのだ。
確かに一見だらしなく見えるかもしれない。
本当にこれでいいのかと思うかもしれない。
でもそこをグッとこらえて待つ。
その忍耐が必要なのだ。我々には。
あ、これまるっきり不登校と一緒だな。
って話が逸れたので戻す。
→誰かの指示をきちんと聞く子になる
→より手厚い教員の指導が必要になる
→教員の長時間労働問題と疲弊の加速
まさに、今この国で行われている教育の
「悪循環のキモ」はここだなあと。
主体性の発揮に成長を感じるのか?
指示通りできることに成長を感じるのか?
これからの時代を生きる子どもたちにとってどちらが大切なのかを、私たちは考えていく必要がある。
本当にそうだ、と鼻息荒く思う次第。
最後、人はシャンパンタワーの法則で
満たされていく、という話も良かった。
心がカラカラな状態じゃダメなのは
もちろん先生もだけど、保護者もだ。
「家庭では、保護者の方が笑顔で人生を楽しんでいることが、子どもが満たされることにつながっていきます。だからこそ、子育てを優先してもらいたいという思いと同じぐらい、自分自身の人生も優先してもらいたいと願っています。それは、自分本位やわがままではなくて、社会を幸せにすることですし、家庭を幸せにすることなのだということを知ってもらえるとうれしいです」
親が笑顔で自分自身の人生を優先する。
それは自分本位でもわがままでもない。
むしろ家庭と社会を幸せにすることだ――。
「その通り!」
って我ながら暑苦しいったらありゃしない。
今日は熱血純ちゃんでお届けしました。笑
良い1日を。
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私もそう思います!組み立て体操や厳粛な卒業式はいらない!もっと子どもの主体性を重視した教育をしないと、子どもたちがロボットみたいになってしまいます。
かすたどんさん、コメントありがとうございます!
本当にロボットみたいになっちゃいますよね。保護者である僕ら自身が、意識を大きく変えていかなきゃなと思います。