幸せは小刻みに

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JAF会員誌「JAF Mate」が届いている人は
たくさんいると思う。

でも毎号ちゃんと読んでる人は
そんなに多くないと思う。

かくいう僕も
3回に1回くらいしか読んでいない。

その3回に1回だった。

2019年11月号の「幸せって何だろう」
というコラムに目がとまった。

鷲田清一さんという哲学者の方の文章だ。

ナチスによって強制収容所へ送られた
ユダヤ人精神科医のフランクル。

彼が書いた「夜と霧」という本を
ご存知だろうか?

うちの奥さんに「とても良いから是非読め」
とかれこれ何年も言われ続けている本だ。
(でも読んでないんだけど…)

フランクルが「夜と霧」で書いている
自身が体験した極限状態の収容所生活。

生き延びるためには、
たとえ実現性がどれほど低くても、
希望に賭ける他はない。

ただ――。

たとえば次のクリスマスの季節には
きっと家族に会える!など。

強いその希望が叶わなかったとき、
絶望は人の生きる力を奪う。

実際、収容所では
クリスマスから新年にかけて、
普段以上に多くの人が死んだという。

では希望を捨てずにいるには
どうすればいいのか?

フランクルは希望を小刻みにしたという。

今夜の食事にソーセージは出るだろうか?
切れた靴紐の代わりが見つかるだろうか?
明日は気心の知れた人と同じ
作業グループに入れるだろうか?

視野をあえて狭くし、気がかりを
小刻みにすることで希望を小さくした。

これは、ちょっと意外でもあり、
なるほどなあ、とも唸らされた。

強い意志を持って、決して希望を捨てない。
必ず自分は生還するし、生還できる。

そう信じることはある意味、
勇ましく、かっこいい。

でも、どこかでポッキリ
折れてしまいやすいのかもしれない。

幸せをでっかく待つのではなく。

小刻みに感じておくこと。

例えば楽しいおしゃべり。
心が温かくなった本。
意外で嬉しかった一言。

そんなひとつひとつを、大切にする。

「幸せって何?」と問うても幸せになれるわけではありません、いや、そう問うているうち、不幸の影を意識することも増えていきます。それよりも、「ああ、いいなあ」と思えた体験をたとえ小さくても大事にして、不幸という影を減らすようつとめることのほうが大事だと思います。

鷲田さんの言葉が、すーっと胸に入った。

我が子の成長も、そうだよね。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。