残念ながら、歳を重ねても子どものまま

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先日思わずポチった本、

“学校へ行くこと”と“勉強すること”の違い

2021.05.12

『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』
を読んだ。

母に同性愛者としての自分をカミングアウトしましたが、認めてもらえず落胆しています

という質問への鴻上さんの回答を読んで、
大いに心が動いた。

同性のパートナーと暮らしている
39歳・女性のオードリーさん。

カミングアウトから10年経っても
「いくつになっても適齢期だからね!」
と誕生日に母親がLINEを送ってきた。

とてもつらく、悲しい相談だった。

そして鴻上さんはとても丁寧かつ
親身に回答している。

詳細を割愛して一部だけ抜き出すと、
誤解が生じるかもしれない。

なので、もしこの相談内容に
興味がある方はぜひ、
実際に本を手にとってほしい。
(ぜひそうしてください)

その上であえて紹介するのだけど――、

僕にはこの一節がガツンときた。

でも、理解したいのにできない相手と、なんとかやっていけるとしたら、それは、「大人になった」ということだと僕は思っています。それは、別な言葉で言えば「成熟した」ということです。成熟した人間になるということは、理解しがたい相手と、とりあえず、なんとかやっていける能力を身につけた、ということです。

自分を殺して丸ごと受け入れたり、完全に拒否したりしないで、中途半端な関係のままで、相手とつながることができる能力のことです。

そもそも、外交とかビジネスなんてのは、この「大人としての交渉力」が求められるのです。

「子供」はその反対の状態です。理解できないことは理解しようとしない。理解したくないことは理解しない。ただ自分の意見を押しつける。対立したらそれまで。

オードリーさん。僕が何を言いたいか分かりますよね。残念ながら、あなたの母親は、歳を重ねても子供のままだということです。

残念ながら、歳を重ねても子どものまま。

これ、本当にその通りだよなあ、と
チクリと胸に痛みを感じながら思った。

  • 理解できないことは理解しようとしない
  • 理解したくないことは理解しない
  • ただ自分の意見を押し付ける
  • 対立したらそれまで

話が逸れていることを
自覚しつつ書くのだけど、、、

こと子どもが学校に行かないことについて。

こんな対応をしてしまう親(特にお父さん)、
けっこう多いんじゃないだろうか?

逆に「自分を殺して丸ごと受け入れたり」
とか(特にお母さん)。

理解しがたいかもしれない。

でもそこで完全に
シャッターを下ろしてしまうのは、
残念ながら大人ではない。

理解できないなりに、
まずは折り合いのつけ方を探っていく。

中途半端な関係のままでもつながっていく。

曖昧さに耐えるチカラというか。
正解の無さに負けない強さというか。

何度も書きますが、
話がぜんぜん逸れてることは重々承知の、
完全なる我田引水です。笑

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。