見守るって黙って見ていること?

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昨日は登進研主催のセミナー
「不登校――なぜ、人は思い込みに
とらわれてしまうのか」に行った。

久々、リアルのセミナーに参加して、
とても良かった。

  1. 昼夜逆転をなおさないと学校に行けない?
  2. ゲームは百害あって一利なし?
  3. 見守るって黙って見ていること?
  4. 進路は必ず本人が決めないとダメ?
  5. 親が元気じゃないと子どもは元気になれない?
  6. カウンセリングは受けたほうがいい?
  7. 目標は「再登校」なのか?
  8. 通信制高校は学力的にいまいち?

 

という8つのお題に4人の講師の方々が
答えていく、という内容だった。

まず、問いの立て方が素晴らしい。
とても参考になった。

どれも良かったのだけど今日は
「見守る」について紹介。

「見守るって黙って見ていること?」

これ、僕もかつて息子の不登校のときに
そう思ってたから、気持ちはよくわかる。

この問いに含まれる
苛立ちや不信もよくわかる。

結局、何もしないってこと?
親にできることは別にない、
甘やかしてりゃそれでいい、
あなたそう言いたいわけですか?

……みたいな苛立ちと不信だ。

答えてくださったのは
八王子市教育委員会教育支援課
心理相談員の海野千細さんだった。

以下、メモをもとに要約。

見守るというのは放っておくことでも
監視することでもない。

その時々の子どもの状況に応じて、
必要なものを与えられるように
待機しておくことが見守りだ、と。

ただ見てるのではなく、
その子に必要な働きかけをする。

他にも。

例えば子どもが安心すること、
楽しいと感じることをしてあげるのも
見守りだし、逆に不安がること、
嫌がること、怒ること、
それをできるだけしないのも見守り。

その子の存在を認めることも見守りなのだ。

――ちょっと抽象的だろうか?

僕は腑に落ちる思いがした。

結局のところ。

「見守るって黙っていることですか?」

ここに含まれる親の苛立ちの気分が、
その不安や焦りが、子どもにとっての
「安心安全」じゃないんだよな。

その子の存在を認める。

ゲームを取り上げたり、
勉強に気を向けさせたり
昼夜逆転を咎めたり「しない」。

ただ、例えば「進路」の情報なんかは
エネルギー枯渇状態で自分で動けない
子どもの代わりに親が揃えておく。

ただし、それを押し付けない。

あくまでも必要になったときに
与えられるよう、待機しておく。

そういった親の関わり方というか、
姿勢が見守るということなのかなと。

「見守っていれば登校するようになるのか?」
「わがままを助長するだけじゃないか?」

そう言いたくなる気持ちもわかる。

ただ、見守るというのは、もっと大きく
腰を据えて、腹をくくるというか。

そういうことだという気がした。

うん、不登校やひきこもりって
やっぱり親自身が試されるよな。

まあ、うちの場合はもう
見守るを突き抜けて
ただ放っておいてる感じだけど。笑

天気下り坂みたいですが、、、

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。