「不登校でも大丈夫」の本当の意味。古い幸せの価値観を引っ剥がした先にあるもの

 

 

 

 

これまた表現が難しいところだけど。

「不登校でも大丈夫」

と言ってます。

っていうか、言っちゃってます。
簡単に。わかりやすく。

でもね、ここ難しいんだけど。

「不登校でも大丈夫」

というのは、イコールで

「不登校でも普通に大学行って
社会人になれるから大丈夫」

と言いたい訳じゃないんです。

そういう具体的なことを
言いたい訳じゃないんです。

じゃあ、どういう意味なの?

「不登校でも幸せになる道は
きっとあるから大丈夫」

という感じかな。

高校受験して、大学に進学して、
就職して立派な社会人になって、
結婚して、家を買って……。

そういう、僕らの内側に
固くこびりついた古い幸せの価値観。

それをある意味、
強制的に引っ剥がしてくれる。

それが子どもの不登校の経験だと
僕は思っていて。

「普通に大学に行って社会人になる」

というレール「じゃなくても」いいんだ。

それだけ「じゃない」んだ。

そこに気づくことができさえすれば。
視点が一段高く持つことができれば。

問題はすでに問題でなくなる、というか。

「不登校でも大丈夫」

と僕が言うとき。

それはあなたのお子さんの進学や
就職を保証している訳じゃないんです。

そうじゃない。

そうではなく――。

あなたに得てもらいたいんです。
この機会に、新しい視点を。

価値観の囚われに気づいてほしいんです。
視点を一段上げて考えてほしいんです。

向き合ってしっかり考えられたら、
「不登校でも大丈夫」になるんです。

本人の人生にとって
本当に大切なことは何か?

本当に大切なこと、何だと思ってますか?

それは進学ですか? 就職ですか?
結婚ですか? マイホームですか?
社会的地位ですか?

確かにそれも「結果」としては
目に見える形のひとつでもある。

でも一番大切なのは身も蓋もなく言えば
「幸せな人生を歩むこと」ですよね?

本人が幸せな人生を歩むこと。

そこに尽きる。

そう思いませんか?

そうやって俯瞰してモノを見た時に。

果たして不登校=お先真っ暗だろうか?
果たして不登校=不幸せ確定の道だろうか?

そうじゃない道もありますよね。

だから言いたい。

「不登校でも幸せになる道は
きっとあるから大丈夫」

これを短縮するとこうなる。

「不登校でも大丈夫」

わかりますかね、この感じ。

なんでくどくどこんなことを書くのか?

ときどきね、
まだまだ誤解が多いなと感じる。

「金子さんのところはうちとは違うから」
「忍介くんだからうまく行ったんでしょ?」

そんな言外のニュアンスを感じたりもする。

でも数年前からこのブログを
読んでくれている人ならきっと
わかってくれると思うけど。
(いや、本当に)

誰も今のこういう展開は
予想できなかったはずだ。

ただ今の彼の状態はあくまで今であって。

これはハッピーエンドでもなんでもない。

この先も彼は人生の荒波に洗われると思う。

「でもきっと大丈夫。
この子は自分で選んで立ち上がれる」

もちろん、心配ではある。

でもある部分、そう腹を括ってるのでね。

日々、今も生暖かく見守ってます。
(そう、生暖かく、不完全に)

本当にね。
親は永遠の修行僧ですよ。笑

生暖かく、不完全でもいい。

ご同輩のみなさん、
「希望を持って忙しく」行きましょう。

今日も良い一日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在21歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。