我慢しろ、と強いるのではなく

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今でこそこんなタイトルの
ブログを書いているけど、

かつての僕には「不登校」は遠いどこかの、
見知らぬ誰かの話だった。

だからこそ、いざ自分の息子が
学校に行かない、となると慌てたし悩んだ。

でも、迷い悩む中で沢山の気づきを得た。

おかげでいろんな「当たり前」と
思っていたことから自由になれた。

ところで、、、

10歳のYou tuberゆぽたんの一件。

色んな人の本音が知れた、
という点ではある意味、良かった。

でも、否定的な人たちの辛辣な言葉使いが
本当に苦手で、イヤで、
出来るだけ目に入らないようにしている。

そんな中。

『学校は行かなくてもいい』の著者、
小幡和輝さんのこのひと言が、
言い得て妙すぎて唸った。

 批判する人の中で「みんな我慢して学校に行っていた。だからお前も我慢しろ」という言葉があります。もし、みんなにとっての学校がいい思い出だったのであれば、こうはならないはずですよね。むしろ、学校はこんないい経験ができる場所なのに、そこに行けないってかわいそうだね、といったコメントが集まるはずです。

しかし、現実は我慢しろという批判が集まっている。ここに学校教育の「闇」があるのではないでしょうか。

「今の学校」しか選べない不幸

我慢して学校に行った。
結果、どう役に立ったのか、
実は自分でも明確にわかっていない。

だからこそ、これまで溜め込んできた
マイナス感情が一気に爆発したのが
今回の件なのだ、と。

確かにそうだ。

学校を素晴らしいと心から思っていたら、
我慢しろという言葉は出るはずがない。

一番の問題は、
「今の学校」しか選べないことだと思う。

「今の学校」を決して否定はしない。

ただ、誰もかれもがそこへ行くことが全て、
となっているのが問題だ。

もちろん楽しく学校に行っている人もいる。
一方、嫌々ながら行っている人たちもいる。

その”嫌々ながら”の状況は、不幸だと思う。

もっと多様な選択ができるようにすべきだ。

我慢しろ、と強いるのではなく

自分は我慢した、だからお前も我慢しろ。

これってなんだか、部活の先輩みたいな
モノの言い方じゃないだろうか?

素敵な夢のある言葉、じゃ全然ない。

そうですよね?

我慢しろ、と強いるのではなく。

世界は生きていくに値する楽しい場所だ。
命短し、楽しめ子らよ!

未来ある少年少女には、せめて
そういう言い方をしたいと思いませんか?

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。