不登校新聞8月15日号の母親インタビュー
花さん(仮名)の記事、
「娘を「待つ」と決めて葛藤した私の3年半」
を読んだ。
小学6年生から不登校になった娘は結局、
中学へは1日も通わなかった。
「行かなくていいよ」と口では言いつつ、
最初は受け入れられなかったという花さん。
片っぱしから不登校関連の本を読んだ。
するとどの本にも同じことが書いてあった。
どんな内容か?
こんな内容だ。
今は休むとき。
休んでエネルギーが溜まれば
子どもは必ず動き出す。
だからそれまで待て、と。
花さんの感想はこうだった。
始めのころは「待つ」というフレーズを目にするたび、どうしても「動き出すときは、いつなの?」「本当に動き出すときなんて来るの?」と疑問や不安な気持ちが込み上げました。頭では待つことの必要性をわかっているつもりでも、半信半疑で心からは納得はできていなかったと思います。
不登校の「待つ」問題は本当に難しい。
渦中にあるときはある種、
待つ問題は「禅問答」みたいに感じる。
いつになったら動くのか?
果たして本当に動き出すのか?
回答。
いつ動くのかは「わからない」。
でも「いつかはきっと」動き出す。
いや、そんな禅の高僧みたいな返事、
全然求めてませんから!みたいな。笑
冗談めかして書いたけど、
見えない無担保の未来を信じる、
ここに本当に腹を括るまでが、
親が一番辛いところだと思う。
ところで。
僕はこの着眼点がいいなと思った。
花さんが休日を過ごす
娘さんの様子に気づいたことだ。
学校のない土日になると娘は落ち着いていたので、「ああ学校へ行かなかったら、この子は元気で生きていけるんだ」と感じていた部分もありました。
学校のない土日には
娘は様子も体調も落ち着いている――。
そこに気がつけたこと自体もそうだし、
そのことを
「学校へ行かなければ
娘は元気に生きられるんだ」
とグルっと発想を変換できた。
それは単純なことではあるけれど、
とても見事な切り替えだなあと。
「毎日学校へ行かずに昼夜逆転、
ゲーム三昧でだらだら過ごして、
これから先、一体どうするつもりッ?」
そういう「曇った目」で見ていたら、
この小さな変化自体に気がつけないと思う。
いや、本当に小さな変化だ。
でもそこに
ヒントを見つけることもできる。
子どもの不登校を通して
「100点じゃなく50点でもいい」
と親として意識が変わった、
という花さんの話も良かった。
いや、本当にそうだよね。
100点だけが人生じゃない。
何より元気に生きられることが大事。
今日も良い1日を。
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