小3で不登校になった息子。
その後、授業もテストも先生もない
自由なデモクラティックスクールに
通うようになった。
でも5年で辞め、1年間ひきこもって
今は通信制高校に在籍、という道のりを経て
わかってきたことがある。
それは、不登校になってもならなくても、
自由なスクールに行っても行かなくても、
子どもは子どもで普通に育つということだ。
逆に言えば――。
不登校だからこそ***になった!
とか
自由な環境にいたからこそ***できた!
とか。
そういうことは
あるかも知れないし、
ないかも知れない。
あくまでもその子次第だ。
そんでもって、だいたいにおいて
親が期待したほう「じゃないほう」に、
物事は動いていく。笑
ということで、良い意味で完全に
期待を手放せるようになった。
うちの子はうちの子だ。
他の誰かが仮に何かだとしても、
それはあくまでも他の誰かの話だ。
そう思っていると、
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小1から6年間不登校で、現在13歳のA君。
好きなゲームにはまるうちに、
なんとチャット経由で英会話を
独学でマスターしたのだという。
ワオ!
こういう子もいる。
もちろんそうじゃない子もいっぱいいる。
ひとつの事例として読んだのだけど、やはり
そこに至るまでの親としての葛藤もあって
その部分が良かった。
よろしければ。
そしてこれは本当にその通りだと思った。
子育ては継承の文化と言われるものの、時代背景や人や環境が変化すれば子どもの育ちも変化して当然だ。しかし、その変化に学校や社会が対応できているだろうか。多様性だ、個性と言いながら、昔ながらの集団一斉教育のかたちは変わらないように見える。したがって、枠組みから飛び出てしまう子どもに、学校は安心安全な居場所を提供できていない。
多様性だ個性だ、ってね。
言いながら「前へならえ」の
集団一斉方式を続けている。
ある意味、滑稽ですらないだろうか?
そして親の僕らも意識変えなきゃね。
今日も良い一日を。
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