先日思わずポチった本、
『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』
を読んだ。
母に同性愛者としての自分をカミングアウトしましたが、認めてもらえず落胆しています
という質問への鴻上さんの回答を読んで、
大いに心が動いた。
同性のパートナーと暮らしている
39歳・女性のオードリーさん。
カミングアウトから10年経っても
「いくつになっても適齢期だからね!」
と誕生日に母親がLINEを送ってきた。
とてもつらく、悲しい相談だった。
そして鴻上さんはとても丁寧かつ
親身に回答している。
詳細を割愛して一部だけ抜き出すと、
誤解が生じるかもしれない。
なので、もしこの相談内容に
興味がある方はぜひ、
実際に本を手にとってほしい。
(ぜひそうしてください)
その上であえて紹介するのだけど――、
僕にはこの一節がガツンときた。
でも、理解したいのにできない相手と、なんとかやっていけるとしたら、それは、「大人になった」ということだと僕は思っています。それは、別な言葉で言えば「成熟した」ということです。成熟した人間になるということは、理解しがたい相手と、とりあえず、なんとかやっていける能力を身につけた、ということです。
自分を殺して丸ごと受け入れたり、完全に拒否したりしないで、中途半端な関係のままで、相手とつながることができる能力のことです。
そもそも、外交とかビジネスなんてのは、この「大人としての交渉力」が求められるのです。
「子供」はその反対の状態です。理解できないことは理解しようとしない。理解したくないことは理解しない。ただ自分の意見を押しつける。対立したらそれまで。
オードリーさん。僕が何を言いたいか分かりますよね。残念ながら、あなたの母親は、歳を重ねても子供のままだということです。
残念ながら、歳を重ねても子どものまま。
これ、本当にその通りだよなあ、と
チクリと胸に痛みを感じながら思った。
- 理解できないことは理解しようとしない
- 理解したくないことは理解しない
- ただ自分の意見を押し付ける
- 対立したらそれまで
話が逸れていることを
自覚しつつ書くのだけど、、、
こと子どもが学校に行かないことについて。
こんな対応をしてしまう親(特にお父さん)、
けっこう多いんじゃないだろうか?
逆に「自分を殺して丸ごと受け入れたり」
とか(特にお母さん)。
理解しがたいかもしれない。
でもそこで完全に
シャッターを下ろしてしまうのは、
残念ながら大人ではない。
理解できないなりに、
まずは折り合いのつけ方を探っていく。
中途半端な関係のままでもつながっていく。
曖昧さに耐えるチカラというか。
正解の無さに負けない強さというか。
何度も書きますが、
話がぜんぜん逸れてることは重々承知の、
完全なる我田引水です。笑
今日も良い1日を。
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