子どもが生きる力を身につける重要な機会を根こそぎ奪っている

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たまたま目にした記事だけど、面白かった。

小学3年生の息子。
サッカーチームに入っているが、
試合の出場時間が短い。

妻は監督の指導法が気に入らず文句を言う。
サッカーを辞めさせてバレーをやらせたい。
妻はそう言うのだけど、どうすればいいか?

――というパパさんのお悩みだ。

あなたならどう答えますか?

「僕ならこう言うかな」

と一度、考えてみてから読んで、
記事ではこう回答されていて、
確かにそうだと嬉しく思った。

正直言って返答しかねます。これは私を含め、どんな専門家でも判断できるものではないでしょう。

なぜならば、サッカーをやるか、バレーをやるかは息子さんが決めることです。これは、もう小学3年生だから自分で決められるでしょ? といったものではなく、どんなに小さくても危険が伴うことや害を及ぼすものでない限り、子どもに決めさせるべきです。

私は何々すべきといった言葉はあまり好きではないのですが、どのスポーツをするかといったことは子どもに決めさせてください。

ついついね、親は子どもよりも
大人である自分の方が
見識や知識もあり正しいと思いがちだ。

でもここには落とし穴がある。

実はその言動が「子どもに何かを決めさせる」という、子どもが生きる力を身につける重要な機会を根こそぎ奪っている。そのことに気づいていません。

根こそぎ奪っている――。

というのは人によっては
ちょっと大袈裟に響くかもしれない。

でも生きる上で「選ぶ」という作業が
いかに重要であるかという話は、
やっぱり僕には腑に落ちるものがある。

整備された環境にいるはずの動物園の動物は、野生の動物たちよりはるかに平均寿命が短い。なぜならば、餌や行動など自分で選択することができないから。

企業の社長や幹部といった重い責任を伴う人たちの平均寿命は、生涯を従業員として終えた人たちよりも長い。ハードな毎日を送っているはずなのに長生きなのは、ある程度指示通りに動く従業員と違って裁量権や選択権があるからだそうです。

つまり、どんなことも自由に選ぶ権利を与えられることで、人はエネルギーを蓄える。逆に誰かに従い続けることは私たちが考えている以上に、ストレスフルなのです。

平均寿命の話はまあ、ともかくとして。

自由に選ぶ権利があることで、
人はエネルギーを蓄える。

それは、やっぱり
普遍的な話なんだろうと思う。

「高校は全日制の方がいいのでは……」
「通信制じゃ大学進学は難しいんじゃ……」

などなど。

いろいろと言いたいのが親心だ。

でもね、きっとここが
一番の踏ん張りどころなんです。

大切なことは「本人が決めること」です。

言いたくなったらお口チャックです。

でもどうしても言いたくてたまらない、
そうなってしまったその時は――。

子どもが生きる力を身につける重要な機会を根こそぎ奪っている

その可能性を思い起こしてみませんか?
根こそぎ奪ってしまうかも知れないんだと。

どんなことであっても、
決めるのは本人で。

言いたくなる、でもその我慢こそが
実は本当の子育てなんじゃないかと。

今は思う次第。

え?
そう言うお前はできてるのかって?

できてる訳ないっスよ。

失敗だらけデアリマス。

だからこそこうして毎日、
自戒込めて書くのデアリマス。

ちなみに余談だけど――。

「デアリマス」

って元は山口県の方言なんだよね。

明治になって長州の人たちが
あまりに頻繁に使いまくるので、
特に議会や軍隊で広まった、という。

豆知識でした。ちゃんちゃん。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。