「不登校日記|僕らの場合」は
6年前、不登校に悩む間
僕が両親に宛てたメールをまとめたものだ。
過去の自分の偏見
何度か書いていることだけど、
当時の僕が持っていた偏見が
そのまま書いてある。
ホント、恥ずかしいので
こっそり訂正してしまいたい衝動に
実は何度も駆られている。
が、記録としてあえて残している。
- 不登校は怠け
- ひきこもりはコミュニケーションに問題あり
そういう偏見がどこか、心の奥にあった。
だから、忍介はそうじゃない、
そうじゃないんだ、と何度も力説している。
今にして思う。
やはり、単純に不登校やひきこもりを
知らなかったからだと思う。
知らないし、よくわからない。
なので、なんとなくのイメージに
左右されていた。それが素に出てた。
改めて、そんなこんなを
思い出させられた記事だった。
ひきこもり歴を話すと…
2月15日号の不登校新聞
「“ひきこもり歴”は隠すべき?」
7年間のひきこもり経験者、
瀧本裕喜さんの記事だ。
瀧本さんは18歳から25歳まで
7年間ひきこもった。
ほとんど部屋から出なかった。
それはひたすら
自分と向き合った時間だった。
最終的にひきこもったことを
自分の中で肯定できたとき、
瀧本さんのひきこもりは終わった。
が、、、
社会はそうじゃなかった。
アルバイトの面接に行くと、
履歴書の空白期間を質問される。
ひきこもっていた、
と答えると採用されない。
「ひきこもってたことは言わない方がいい」
と周囲からはアドバイスされる。
ひきこもりは暗くて、人生に絶望した
犯罪者予備軍だ、という偏見。
勇気を持って社会に踏み出したのに、
社会の側の理解がない。
過去にひきこもっていたというだけで何だというのだ。明るい人もそうじゃない人も、バイトに意欲を燃やす人もそうじゃない人もいる。なぜそれがわからないのだろう。
これは本当に辛いことだなあ、と。
読んでしみじみ思った。
自分を熟成させるための時間
瀧本さんはひきこもった7年間のことを
「なかったこと」にはできないと言う。
7年かけて見つけた結論への誇りもある。
心の闇と深く向き合ってきたからこそ、今の僕が在る。誰にも僕の生き方を否定する権利はない。社会から見れば、恥ずかしい黒歴史なのかもしれない。しかし、僕にとってひきこもりは、ワインを寝かせるように自分を熟成させるための必要な時間だったのだ。
知ること。
それがまず一番だと思う。
一人でも多くの人に届けば、
と思っての紹介でした。
今日も、良い1日を。
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