江川紹子さんの「私たちも不登校だった」
という本を読んだ。
不登校を経験した8人を
ジャーナリストの江川さんが取材し、
そのストーリーをまとめたものだ。
2001年刊行の本で、そのぶん、
今読むとヒドイ話が多い。
乗馬に興味を示したところ、父親に
「北海道の牧場に連れてってやる」
と言われ、そのまま置き去りにされた
倉地透さんがその最たる例だけど、
登場するカウンセラーや先生たちは
ことごとく、普通に、
不登校は学校へ戻すことが前提だ。
親も力づくで学校へ行かそうとする。
そんなところには「時代」を感じた。
行けない理由は自分でもわからない
いじめがきっかけの人もいる一方で、
行けない理由が自分でもわからない、
という、こうした声も印象的だった。
「一度行けなくなると、もう先生がどうの、という問題じゃなくなるんですね。その空間への拒否反応と言ったらいいのか…。」(山谷千香さん)
「学校に行くか、行かないかという選択ではなかった。もう行くことができなかったんです」(鈴木祐司さん)
中でも僕が一番印象に残ったのは
梅沢しのぶさんの事例だった。
私は生きていてもいいんだ
真っ暗闇の海で、板切れ一枚に
つかまりながら、かろうじて
漂っている気がしていたしのぶさん。
それまでのカウンセラーも
しのぶさんの話は聞いてくれた。
でもひとしきり話し終わると、
彼らは必ず「でもね」と言ってきた。
間違いを正したり、違う視点を提示して
しのぶさんの気持ちを結局、
学校に向かわせようとする。
ところが、ある相談員は
「でもね」を言ってこなかった。
「そうだよね、そうだよね」
とひたすら聞いてくれた。
ひとしきりしのぶの話を聞いた相談員は、「そんなにしんどかったら、行かなくていいんじゃない?」と言った。
その瞬間、しのぶは狭いところに閉じ込められていた自分が解放され、目の前がパーッと晴れていくような気持ちがした。
(あー、私は生きていてもいいんだ)
決して大げさではなく、心の底からそう思えた。
聴くこと、そして目の前の相手を
まるごと受容することの大切さを
改めて感じる場面だった。
演じ続けた「不登校の優等生」
ただ、これでしのぶさんの
全てが好転するわけじゃない。
行ってみた不登校生たちの集まりも
決して楽園ではなかった。
そこでいじめにあった。
摂食障害にもなる。
「あの子は学校に行かないからこうなった」
と言われたくないあまり、
演じ続けた「不登校の優等生」。
自分らしく、自分らしく生きる、
であろうと頑張りすぎた――。
と、詳細は本を読んでいただくとして。
生きる力が育まれる過程
不登校生が何を感じ、
どんな思いでいたのか?
どういうきっかけで、何が変わり、
そしてその人の今があるのか?
それが丁寧に取材されている、
とても濃い一冊だった。
学校に行くか行かないかだけじゃない、
もっと大きな「生きる力」が
どう育まれていったか、その過程を
知ることができる良い本だと思う。
中古では手に入るようなので、
もしご興味あれば、是非。
今日も良い1日を。
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