すべておとなが勝手に使っている言葉

Sponsored Link

 

昨日に引き続きなのだけど、、、

フリースペースたまりばの西野さんの本、
『居場所のちから』。

けっこう色々、頭に残っていて。

いいなと思った部分、2箇所紹介。

  • 子どもの話を聴く
  • 寄り添う
  • 受けとめる

コレ、良いことのように聞こえますよね?

でも、、、

世田谷で長く児童館職員をされてきた
沢畑勉はこう語っているという。

「子どもの話を聴くとか、寄りそうとか、受けとめるとかいうのは、すべておとなが勝手に使っている言葉。子どものほうが話を聴いてもらえたとか、受けとめてもらえたと思ったときにしか成立しない」

これは、地味にガツンときた。

言われてみればではあるのだけど、
本当にその通りじゃないだろうか?

特に親はそうなりがちなのだけど、
どこか子どものことを
上から見てしまっているように思う。

だから聴いて“あげる”とか、
受けとめて“あげる”とか、

ともすればそういう姿勢になりがちだ。

でも、相手がどう受け取ったのか?

大切なのはそこなんだよな。

もうひとつ、
「導く」ということについて。

問題の解決は、その子自身にしかできない。そこで、導いてあげようなどという目線からはずれて、ただ寄りそうというスタンスに身をおいてみる。この寄りそうというのは、実は導くよりもずっとむずかしいことなのだ。一方的な気持ちの押しつけだけでは成立しない。あくまでも、お互いの気持ちが一致するということが前提になっているからだ。これは、とくに思春期の子どもとかかわるときに、どうしても手に入れておきたい「まなざし」なのである。

こちらは西野さんの言葉だ。

なんかね、ついついね、
導いて“あげたく”なっちゃう、

そのココロ、要注意ですから!笑

今日も良い1日を。

プロフィール写真

 

記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。

更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
Sponsored Link



まず親が幸せになる|びーんずネット

不登校のセミナーやカウンセリング、インタビュー事例集をお届けする活動を夫婦でしています。ぜひご覧ください。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。