教え導くことの危険性

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「誰かを正しく教え導く」

ということ自体、実はとっても
おこがましい考えなんじゃないかな。

――という気が最近している。

相手がそれを望んでいない場合は、特に。

より良い人生の歩み方を子どもに教えよう!

と明確に意識している親は少ないと思う。

でも、よくよく紐解いてみれば、
親の奥底にはそんな思いはやっぱりある。

「高校は出ておかないと損をするよ。
まともに働き口が見つからないから」

「大学は名の通ったところのほうがいい。
就職活動で有利になるはずだから」

そういう、処世のナマなお役立ち情報。

親はつい、子どもに授けたくなる。

なぜか?

より良い人生を歩んでほしいから。

そうですよね?

でもそういうナマなお役立ち情報は、
相手が望んでいる場合ならまだしも。

それどころではない状態にあるときに
勝手に一方的に授けることは
まず効果的ではないし、ある意味迷惑だ。

そしてこの「正しく教え導く」という
発想自体が「おこがましい」。

大切なのはやっぱり「本人の選択」で、
あれこれ迷うことや失敗する権利、
それを親が奪ってしまわないことだ。

そう。
勝手に授けることは、奪うことにもなる。

なんだかね、とみにそんな気がする
今日この頃なんです。

うまく言えているかどうか
わからないのだけど、、、

日常的に「教え導く」立場にある、
学校の先生には、特にね。

この「おこがましさ」の危険を踏まえて、
意識して、ときに少しだけ引いてみるとか、
うまく塩梅をつけてもらえたらいいなあと。

思ったりします。

「じゃあ結局どうすればいいのか?」

  • 基本的に聞かれない限りは放っておく
  • 選択したい気持ちの芽が出るのを待つ

わかりやすい言葉にすると、
そういうことになるのかな。

相手が自分で気付くのをサポートしたり、
応援することはできるかもしれない。

でも誰かを正しく教え導く必要なんて、
そもそもないし、できっこない。

そう思えれば、先生もラクだし親もラクだ。

すみません、毎度おなじみ、
抽象的なひとり語りでした。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。