子どもの頃はいざ知らず。
僕が半ズボンをはくようになったきっかけは
割と明確に覚えている。
最初に務めた会社を4年で辞めて、
翌日からスペインに1ヶ月、
退職金だけ握りしめて一人旅に出た。
1998年5月のことだ。
僕はジーンズ姿でスペイン各地を巡った。
でもドイツ人観光客たちは、いい大人でも
みんな揃って必ず半ズボン姿だった。
「あ、いいなあ、あれ。涼しげで」
そう思うようになって、僕も以降は
夏は半ズボンを履くようになった。
4年前に会社員を辞めてからはもう、
4月から11月の最初くらいまでは
普通に毎日半ズボンで過ごしている。
なんで半ズボンのことを
書いているかと言うと、、、
うちの奥さんがこの記事を
教えてくれたからだ。
内田さんは先日亡くなったコラムニストの
小田嶋隆さんのことを、こう例えている。
「いつまでも夏休みのつもりで遊んでいたら、周りの友だちが秋になって一斉に受験モードに切り替わってしまったのだが、それに気付かず、学生服をきちんと着込んだ同級生の間にひとりだけアロハと半ズボンとゴム草履で取り残された高校生」
「我慢」が社会参加への唯一の道筋
そして小田嶋さんが高く評価していたという
橋本治さんの『革命的半ズボン主義宣言』
という本の話もとても良かった。
「なぜ日本の男は背広を着るのか?」
それを大真面目にまるまる一冊かけて
考察した書物だという。
絶版なのが残念だ。
なぜ日本の男は背広を着るのか?
以下、内田さんの要約を転載。
1. 日本のオフィスでは、「我慢をしている男が偉い」ということになっている。
2. 熱帯モンスーン気候の蒸し暑い夏を持つこの国の男たちが、職場の平服として、北海道より緯度の高い国の正装である西洋式の背広を選択したのは、「我慢」が社会参加への唯一の道筋である旨を確信しているからだ。
3. 我慢をするのが大人、半ズボンで涼しそうにしているヤツは子供、と、うちの国の社会はそういう基準で動いている。
4. だから、日本の大人の男たちは、無駄な我慢をする。しかもその無駄な我慢を崇高な達成だと思っている。暑苦しいだけなのに。
なんとも鋭い着眼点だと思いませんか?
それ、苦しくない?
話はこう続く。
わが国において「有能さ」とは、「衆に抜きん出ること」ではなくて、むしろ逆の、「周囲に同調する能力=突出しない能力」を意味しているからだ。
『革命的半ズボン主義宣言』の最終的な結論は、タイトルが暗示している通り、「半ズボン姿で世間に対峙できる人間だけが本物の人間」である旨を宣言するところにある。」
そして小田嶋さんは常に
半ズボン姿で世間に対峙してきたのだ、と。
ただし、小田嶋さんの素敵なところは
痩せ我慢の人たちをせせら笑うでもなく、
罵倒するわけでもない。
むしろ「それ、苦しくない?」と気遣う。
そうではなくて、彼らが身にまとっているものの嘘くささや息苦しさの所以を説き聞かせて、「そんなもの脱いで、こっちへおいでよ」と呼びかけているのである。
それが、小田嶋さんの本領であり、
だから鋭い批評性と親切心が同居する、
不思議な味わいがあった、という話だ。
めちゃめちゃ腑に落ちる、
素晴らしい説明だと思った。
結局のところ、何が言いたいのか?
2つある。
ひとつは内田さんの素晴らしい考察に
腹の底から感動した、という話だ。
2つめは?
もちろん「半ズボン万歳!」だ。
もう一回言うよ。
半ズボン万歳!
今日も良い1日を。
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