昨日はびーんずネットの
「不登校生のお父さん座談会」をした。
参加いただいた4名のお父さん、蓑田さん、
本当にありがとうございました!
僕は撮影係で基本、聞いていたのだけど、
話が深まるにつれ、忘れていた色んな感情が
ポコポコ、泡のように浮かび上がってきた。
一言で言うのは難しい。
難しいのだけど、言うなれば僕の場合、
問題を抽象化していたなあ、と。
子どもが学校へ行かない。
そのことを非常に大きな問題だと思った。
なぜ問題なのか?
どんなふうに問題なのか?
僕は当時、忍介の不登校はクラスメートとの
人間関係のつまづきだと主に捉えていた。
人間関係。
それはこの先の人生でも頻出する問題だ。
ある意味人生そのものだ。
小学三年生という、まだ幼い年齢で
そこから安易に降りてしまえば、
この先もずっと逃げ続けることになる。
弱い人間になってしまう。
それで本当にいいのか?
そんなふうに感じていたことを思い出した。
学校へ行かない=逃げ・弱さ・耐性の無さ、
みたいに変換していた。抽象化していた。
だから、しゃかりきになった。
ただ不思議と昨日の座談会に出るまで、
その感情のことは割とすっぽり忘れていた。
思うのだけど、、、
逃げ・弱さ・耐性の無さ、に対して
僕はきっと、強く思うところが
今以上にあったのだと思う。
人に弱みや背中を見せてはいけない。
嫌なことから安易に逃げてはいけない。
けっきょく万事、競争なんだ。
がんばれ。負けるな。
忍介が不登校になった7年前はちょうど、
僕自身、4社目に転職した年だった。
「お手並み拝見」
という周囲からの視線を
毎日ひしひしと感じていたし、
結果を出す必要があった。
自分を証明する必要があった。
そして新しい職場での人間関係は、
残念ながら全然うまく行ってなかった。
だからと言って逃げるわけにはいかない。
まあ、それは今にして思う
後付けの理屈かもしれない。
ただ当時の僕の状況はそうだった。
――そんなこんなを思い出した。
時として、不登校生のお父さんたちが
分からず屋で頑なに見えることがあるのは、
僕が感じていたような思いが、もしかしたら
どこか、関係しているのかも知れない。
ぜんぜん関係してないのかも知れない。
その辺はこの先も、少しずつでも
深く掘っていけたらなあ、と思った。
今日も良い1日を。
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