「楽かどうか」「ほっとできるかどうか」

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タイトルに惹かれて読んだ。
臨床心理士の信田さよ子さんの記事だ。

信田さんのことは先日読んだ
「明日、学校に行きたくない」
という本でもとても印象に残っていた。

明日、学校に行きたくない

2021.02.07
  • 学校は「世間」の象徴
  • 世間は「ふつう」であることの代表
  • ふつうを求めるあまりの「教育虐待」

この辺りは、確かにそうだなあと
思いながら読んだ。

ただ個人的にはこの最後のくだりが
とっても良かった。

それでも生きていくために、必要なものは「自己肯定感」といったものではありません。ましてや、そんな「自分を好きになる」ことでもありません。

私はいつも「楽かどうか」「ほっとできるかどうか」という点を大切にしたいと思っています。この感覚は心と体に分けられるものではなく、なんとなくそう感じられる状態のことを指します。

たいてい自分はいやなものです。でも、自分を認められず嫌悪するところから、エネルギーが生まれることもあるのです。それに自分を好きになったり自己肯定感を得ようとしたりすることは、「自分がいやな自分を否定する」ことになりはしませんか。

「今あなたは、ほっとできているか」「誰と、どこにいるときに楽なのか」という問いかけの方が、生きていくためにはるかに重要だと私は思います。

楽して生きたい――。

こういうことを言ったりすると、すかさず

「世の中そんな甘いものじゃない!」

という声がどこかから飛んでくる。

それはリアルに誰かが言う言葉でもあり、
自分の中の心の声でもある。

「そもさん?」→「せっぱ!」
という一休さんの図じゃないけど、

「楽したい」→「そんな世の中甘くない!」
とすかさず取り締まられてしまうような。笑

だからこそ――。

「楽かどうか」
「ほっとできるかどうか」

コレ、いい問いかけだなあと。

無理して自分を好きになる必要もない。

今、ほっとできているかどうか?
誰とどこにいるとき楽なのか?

こんなシンプルな問いかけって
いいなと思う2月の朝。

「ラク」というのを「リラックス」と
横文字に変換してみるのもいいかも。

もうすぐ春ですネエ♪

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。