読後の余熱がまだ残っている。
なので昨日に引き続き
『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』
の別の一節を紹介したい。
どういう話か?
納得と説得についての一節だ。
文章を論理的に組み立てると説得力が増す。
説得力のある文章を書きなさい。
ことばに説得力を持たせなさい。
そういうアドバイスは多い。
でも説得は「相手を説き伏せること」だ、
と著者の古賀史健さんは書く。
論理という名のダンプカーで
強引に押し切ろうとしている。
だから当然、反発が起こる。
にんげん、押されたら
押し返したくなるからだ。
主張や論理の正しさは関係ない。
強引にこちらを説き伏せてくる、
そのこと自体に反発が起こる。
では、どうすれば読者の同意を引き出すことができるのか。
「納得」だ。
読者にとって、説得とは「されるもの」である。そして納得とは「するもの」である。前者は不本意な受動であり、後者は能動である。
読者を説得してはいけない。いわんや、読者を論破してやろうなどと考えてはいけない。文章に必要なのは――そして読者が求めているのは――説得力ではなく「納得感」なのだ。
おお!ってなりませんか?
僕がこの一節を読んで真っ先に思ったのは、
蓑田雅之さんの本のことだった。
「不登校とお父さん」
にテーマを絞って書かれたこの本。
ここにあるのはひたすら「納得」だ。
「説得」じゃない。
とことん父親の立場に寄り添っている。
だから「納得」が生まれている。
それが本当に素晴らしいことだなあ、と。
話を戻す。
説得は「されるもの」で受動。
納得は「するもの」で能動。
書いてしまえば簡単なことだ。
でもね、ついついやっちゃうんだよね。
特に親という種族は、説得ってやつを。
考えてみれば。
自分だって嫌だよね、説得されるの。
だって納得したいじゃないですか?
それは相手も同じこと。
当たり前のこの事実を忘れないように、
改めて、いつものごとく、
マンネリを恐れず、笑
備忘録として書く次第。
今日も良い1日を。
P.S.
不登校について芯から納得したい人、他にいませんか?
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