親としての役割を効果的に果たすための訓練—「親業」を読む

親としての役割を効果的に果たす訓練---「親業」を読む

5月から親業訓練一般講座を受講する予定。
講座のテキストであるトマス・ゴードンの「親業 子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方」を読み始めた。

うちの奥さんはインストラクターだし、親業については色々と聞きかじっていたのだけど、読んでみるとのっけからガツンと来る文言が多かった。

人間の仕事のなかでも一番難しい仕事。でも二千年前と同じ方法

親はしろうとである
親は非難されるが訓練は受けていない。何百万人という新しい父親や母親が毎年生まれ、人間の仕事のなかでもいちばん難しい仕事につく—-ほとんどなにも自分でできない小さな人間の肉体的、精神的健康に全責任を負い、生産的、協調的で、なにか貢献のできる社会人に育てあげるという親業に。これほど困難で、能力や努力を必要とする仕事がほかにあるだろうか。
しかも、そのための特別な訓練を受けた親が何人いるだろう。親業者のためにどんな訓練プログラムがあるというのか。親業を効果的に果たすために必要な知識や技能を、いったいどこで手に入れたらよいだろう。
(『親業 子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方』トマス・ゴードン著 近藤千恵訳より抜粋・引用)

冒頭部分。
親という仕事はその大変さに引き換え、あまりにも個人のやり方に委ねられている。
しかも、ここまで世の中は進化しているのに、こと親子関係についてはみんな、二千年前と同じ方法を現在も使っている、とゴードンは指摘する。

確かにそうだ。

子育てのモデルは、自分の親だ。
自分の親がどう振る舞っていたかを思い起こして、子どもに接している。

親としてどう振る舞えばいいかは、誰にも教わっていない。
車の運転に例えて言うなら、見よう見まねの無免許運転だ。
自分が受けてきた子育てを、手探りで繰り返している。
ちゃんと”しつけ”をしなくちゃと思いながら、”しつけ”の何たるかはうまく説明できないままだ。

みんなそうなんじゃないだろうか?

自分の親だって、僕らの祖父母を参考にして手探りで子育てしただろうし、その祖父母だってきっとそうだ。
みんな我流のまま、連綿と受け継がれてきたバトン。
二千年前と変わっていないというのは、なるほど、その通りだと思う。

親という役割に縛られる

人が親になると、おかしな、そして不幸なことが起こる。ひとつの役割を果たそう、役割を演じようとしはじめ、自分も人間であることを忘れてしまうのだ。いよいよ親という神聖な世界に入ったのだから、「親」のマントをかぶらなくてはいけないと思う。(中略)
ところがこの変身は、非常に大きな不幸の原因となる。というのは、親はこの変身によって、自分も弱点をもったふつうの人であり、感情をもった生身の人間であることを忘れてしまうことがあまりにも多いからだ。

このくだりを読んで、僕の場合、以前書いた記事(本当は僕も刀が欲しかった)のことを思い出した。

人を殺す道具だからという理由で、父は僕におもちゃの刀を買ってくれなかった。
父も祖父にそう言われて育ったらしい。
だから僕も忍介におもちゃの刀が欲しいと言われた時、ダメだと言った。

親として子を正しく導く義務があると思っていた。
そして刀や銃を子どもが所持すること(それがたとえおもちゃであっても)を認めないのが、親として正しいことだと思っていた。

なぜか?
単純な話、親にそう言われてきたからだ。

でも本当にそうか?

おもちゃはおもちゃであって、殺傷力のある武器ではない。
忍者好きの息子が、想像力を使って見えない敵を追い払うための、ヘナチョコのなまくら刀だ。
よくよく考えてみたら、それが本当に譲れない一線だとはとても思えなくなった。

結局買い与えることにして、結果、忍介の部屋は数年後には刀狩りの集積所みたいになった。
13歳の今や、軽機関銃を使って夜な夜なバーチャルな殺し合いにいそしんでいる。

いやはや。

刀を認めたことは別にして。
「親として正しくあらねば」というスイッチが、突然入ってしまう。
多分、今もまだ「親のマント」をかぶることから自由になれていない部分、多いと思う。

精神的にラクになれるんじゃないかという期待

ゴードンは「子どもをあたたかく見守り続けましょう」とか、「相手を尊重したコミュニケーションを」「子どものことを丸ごと受け入れましょう」というようなあいまいな抽象論を言わないし、親に変な我慢や無理を強いようとしない。

「偽りの受容」「お決まりの12の型」「能動的な聞き方」など、問題点の分析と対処方法がとても分かりやすく具体的だ。
具体的だから、よし試してみよう!という気になりやすい。

ようやく第3章まで読み終わったところなんだけど、すでに考えさせられるところが多かった。

そして読みながら、で感じている。
ゴードン・メソッド(親業)が本当に身についてくると、色んな点で自由になれるんじゃないか、と。

例えば僕にとって、一日40本吸ってきたタバコをやめたことはとても大きなことだったけど(ありがとう、忍介!→20年来の悪癖を改める)、

タバコをやめて一番良かったことは、実は身体的なことではなくて。

「喫煙場所がどこにあるか、を常に心配する必要がなくなったこと」

それが一番大きかった。

四六時中、喫煙場所を心配する必要がない。
それで本当にラクになれた。

(正真正銘のヘビースモーカーだったから、例えば見知らぬ場所に行って喫煙所がどこにあるかわからないと、ちょっとしたパニックになっていた)。

きっとそれと似たような感じで—。

親の役割を果たそうとする習性から自由になれると、喫煙所探しから無縁になることと同じくらい、精神的にラクになれるんじゃないだろうか?
「親として正しいかどうか」という軸じゃなく、自分も弱点をもったふつうの人で、生身の人間として子どもの前でも自然に振る舞えるようになったら。

と、勝手に期待している次第。

理解と体得は違う

わかるのと、できるのはもちろん違う。
バットの振り方を本で読んで、分かったからって実際ヒットが打てるかっていうのと同じだ。

だから講座を受けて、生活の中で少しづつでも、息子にも、他の人とのコミュニケーションでも、実際に試していこうと思っている。
「親業」を読み始めて、5月の講座が楽しみになってきた。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在中学3年生・デモクラティックスクールを経て2019年春からホームスクーラー/忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』を出版しています。