「導き手」になろうとしないこと

「導き手」になろうとしないこと
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自由創造ラボたんぽぽさんのイベント、
Abnormalize〜自分らしく、あるがままに。

クリスタルマジシャンのMichelさんと、
そしてそのお父様のお話を聞いた。

子どもからの視点、そして親からの視点。

同じ話をそれぞれからの視点でお聞きできる
貴重な機会で、とても良かった。

世界に否定される思い

小学生から6年間に渡る闘病生活、
3年間の海外生活を経験し、現在は
プロパフォーマー・フリーライターとして
活動する25歳のMichelさん。

先月は同じくたんぽぽさんのイベントで
「マインクラフト」のお話を聞いた。

学校に行かないと社会性が身につかないか?

2019.08.19

昨日もメモを取るのを忘れて
聞き入ったのだけど、今、改めて
メモ帳を見ると2つだけ走り書きがあった。

まずMichelさんの言葉。

「学校での居心地が悪いこと、イコール
世界に否定された気がする」

大人には学校はたくさんのうちの一つだ。
でも子どもにとって、親と先生と学校は
その時点の、それこそ世界のすべてだ。

世界に否定される思いがする。

その本当の辛さ・キツさというものに、
気づかされる一言だった。

続いてお父様の言葉。

「心配は手放せない。
できるのは見守ることだけ」

どうしたら心配を手放すことができますか?
という質問に対しての答えだ。

何もしたくない、という時は

もうひとつ、メモがないので記憶だけど。

「今は何もしたくない」と言う子どもを
どうしたらいいですか?
というような質問だったと思う。

Michelさんの答えがすごく印象に残った。

何もしたくない、という時は確かにあって、
それは文字通り「本当に何もしたくない」。

何もすることができない。

何かをしようと思うのって、
とてもパワーが必要なことだから、と。

何もしたくない、と子どもが言うなら

とかく親は子どもの
「導き手」になろうとしがちだ。

今、親として自分にできることは
何があるだろうか?と。

でも、時と場合によっては
それはおせっかいだ。

いや、時と場合によらず、
だいたい親がそう思うこと自体、
おせっかいなのかもしれない。

親は親で、子どもは子ども。
何もしたくない、と子どもが言うなら、
その時は本当に何もしたくないのだ。

そうやって、どっしり肝を据えて
見守ることができたら――。

いつになるかはわからない。

でも、きっとある時点で
物事は動き出すし、変わることもある。

改めて意を強くした。

今日も良い1日を。

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2 件のコメント

  • その通り
    でも、どっしりと肝を据え見守ることが
    親には、難しいのも事実
    どう折り合いをつけるか

    • 見守ることしかできないのですが、その前段には「心配は手放せない」もあるんですよね。
      仙人みたいに綺麗さっぱり解脱できないのもまた、親という種族の特徴でもあり…。

      ただ、逆説的だと思うのですが、本当の意味で手を放したときに初めて物事が動くというか、力が入っていると沈むのがうまく力を抜けると初めて水に浮く、というか。
      経験的に、そんな実感もあります。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在中学3年生・デモクラティックスクールを経て2019年春からホームスクーラー/忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』を出版しています。