5年前、息子が不登校になって
家にこもっていた頃。
自分の両親へ不定期に
状況を知らせるメールを書いた。
それが「不登校日記|僕らの場合」だ。
前にも書いたけど、今となれば、
訂正したい偏見がある。
ひとつは「不登校は怠け」という偏見。
もうひとつは「ひきこもりは
コミュニケーションに問題がある」
という偏見。
自分が心のどこかでそう思っていたから、
親への説明の中で「忍介はそうじゃない」
と何度も力説している。
実際、怠けでも
コミュニケーションに問題ありでもない。
むしろ、逆なのだ。
そんなこんなを、
改めて思い知らされた気がした。
少し長いけど、
多くの人に読んでもらいたい。
50代。
高学歴で有能なビジネスマンだった。
でもガンを患ったことからうつ病になり、
アルコール依存から家族に暴力を振るった。
家族が去った後、10年間たてこもり続けた。
そして、自宅で一人、衰弱死した。
記事中の印象的だった言葉を紹介する。
働けない自分を受け入れなかった。
彼は、元の有能な自分に戻れると思っており(有能でなくなったわけではないのだが、昔のような働き方ができないということを認めなかった)、何度も就職をしようとして、挫折した。
「福祉課の世話にだけは死んでもなりたくない」という。
福祉課の人は「わりと元気そうだ」と認識した。彼は全身全霊で「普通の人」を演じきったのだなと思った。
彼を見ていると「ひきこもる」と言うよりも「たてこもる」のほうがびったりくる。たてこもって、なにかと闘っている感じだ。
周りは敵なのだ。特に福祉課は敵なのだ。彼を支援しようとする人は、彼の敵みたいだった。
福祉行政側は、自分たちが「たてこもっている人の敵」なんて思ったこともないだろうけれど、一度はそういう視点に立ってみるのもいいんじゃないかなと思う。
福祉課や支援しようとする人は敵――。
字面で読めば、意味はわかる。
なんというか、その、日本語として。
でも僕らには本当にその意味を
理解する必要があるなあ、と。
ちょっと重すぎて、
諸々受け止めきれずに書いている。
ただ、やはり
一人でも多くの人に読んでもらいたい。
お時間ある時に、ぜひ。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
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ひきこもる-小さな哲学者たちへ 小柳-晴生
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この記事を読んで小柳先生の本を思い出して、読み返しています。
小柳先生のこの新書、金子さん読まれましたか。第4章がとくにすばらしいです。
コメントありがとうございます。
早速アマゾンで注文しました。読んでみます。
いつもありがとうございます!