映画であり小説であり、社会の教科書でもある

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ゲームについての話。

僕が最初にゲームにハマったのは
確か中学一年生のときで、
そのゲームは「ゼビウス」だった。

隠れキャラや隠しコマンド、次々に
説明なく現れる敵の謎のキャラたちが面白く、
母親に怒られながら何時間もやり続けた。

その次は大学三年生のときの、
ストリートファイターII。
最後が社会人になってから、
20代の頃のバーチャストライカー。

この2つはゲームセンターでの対戦型で、
1プレイ100円だった。

この手の対戦型のゲームは、負けると
目の前が真っ白になるくらい悔しい。

もう一回勝負だ!となって、
結局どちらにも少なくとも
数万円分くらいは使ったと思う。

そこからはもう、ゲームはやっていない。

対して、我が家の14歳中三男子。

目下ゲームをやるのが彼の仕事のようだ。

昨日忍介を見たら、ヘッドフォンつけて
アメリカの映画を見てるみたいだった。

昼ごはんのときに、どんな映画?と聞いたら
「映画じゃないよ」と怒ったように言う。

「あれはデトロイトっていうゲームで、
近未来の設定。
アンドロイドが主人公なんだよ」

「へえ、あれゲームだったんだ。
画像すごくリアルだね」

「で、アンドロイドのぼくは人間のために
働くんだけど、その家ではヤク中の父親が
娘を虐待してるんだよ。

見かねて父親を殺して娘と逃亡して、
それで警察に追われて、っていうゲーム」

「そんな話なんだ。すごいね!」

「結局、すべてのものごとは
”何らかの選択の結果”なんだよ。

ゲームの中でもそうだし、
人生だってそうでしょ?

選択の結果。ぼくたちはいつも、
選択することを求められてるんだよ」

細かい言いまわしは違ったかもしれない。

でもゲーム三昧の14歳男子に
「すべてのものごとは選択の結果」
と揺るぎなく力説されて、少しひるんだ。

まあ、確かにゲームの中ではね。

あと言い方にちょっと厭世的な
中二病テイストも感じられるけど。笑

きっと忍介にとって、
ゲームは映画であり小説であり、
社会の教科書でもあるのだろう。

少なくともイマドキのゲームは、
ゼビウスやらストⅡ、
バーチャストライカーとは
どうやら次元が何段か違うみたいだ。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。