買ったけど、まだ読んでいない本
いわゆる「積ん読」になっている本。
あなたはどれくらいありますか?
僕に関して言えば、、、
数えてないけど、すごくいっぱいある。笑
片付けていると、
買ったことすら忘れていた本がよく出てくる。
そして、積ん読が多いことに
ずっと引け目を感じていた。
せっかく買ったのに、読んでいない。
もったいないことをしている。
読まないのなら買わなければよかったのに。
本に対しても失礼だ。
そんな風にどこか自分を責めていた。
積ん読は解消の必要なし!
だから、この考え方は面白かった。
本は買うこと自体に意味がある、と言う。
私は、東京大学文学部の教授に、本の詰まった研究室の本棚について訊ねてみたことがあります。「これだけの本を全部読んでいるんですよね?」と訊ねる私に、教授は「それは野暮な質問だよ」と笑いました。
「読みきれるか心配して本を買うのをためらうとき、君は大きな損失をしている。買わない時点で読む選択肢は消えるのだし、その本に二度と出会えなくなるかもしれない。だからとりあえず買っておく。手元にあればいつでも読めるし、本は腐ったりしないのだから」
買わない時点で読む選択肢は消える。逆に言えば…
逆に言えば、買いさえすれば、
読む選択肢は残る。
当たり前と言えば当たり前のことだけど、
この視点は新しかった。
買わなければ、将来読む可能性はゼロだ。
買うことで、将来読む可能性を残している。
そして、モノは言いようかも知れないけど
こうも言うことができる。
積読が多い状況は「まだ本を読んでいない」ということを示すのも確かなのですが、それは裏を返せば「多くを知りたいと思っている」ことの証明でもあります。
そういう自分を許そう
積ん読が多い人、積ん読のことで
自分を責めてしまっていた人には、
元気の出る言葉じゃないだろうか?
少なくとも僕は元気が出た。
え?
単におのれの怠惰を
正当化してるだけじゃないかって?
まあ、それでもいいじゃないですか。笑
読む可能性はゼロではないのだから。
多くを知りたいと思っているのだから。
そういう自分を、許そう。
僕はそう思った。
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