このところ蓑田さんの本の制作を進めていて
日々「不登校とお父さん」
に触れていたこともあって、
とても興味深く読んだ。
不登校新聞10月1日号の記事
不登校の子を持つ親 小倉裕子さんの
インタビューの中のエピソードのひとつだ。
中学一年生の夏休み明けから
息子が不登校になった。
息子とは反対に、
小倉さんは学校に通うようになった。
トラブルの原因はなんだったのか?
学校の雰囲気はどうだったのか?
担任や他の先生に聞きに学校に通った。
でも学校は何も教えてくれなかった。
何度も通ううちに、
どこかその学校の雰囲気がおかしい、
と感じるようになった。
息子が学校に行きたくない、
という気持ちがわかるような気がした。
一方で。
小倉さんの夫は一般論しか頭になかった。
学校へ行けないなんて甘えだ、
根性が足りない、と不登校に
まったく理解を示さない人だった。
たぶん、わりとよくあるパターンだ。
ただこのときの小倉さんの対応は、
かなりユニークだと思った。
だから私は「お父さんは社会に出ているから人を見る目があるでしょ。私より社会人経験があるんだから、一度学校へ行って先生たちを見てきてよ」と言って主人を学校に連れて行ったんです。学校には子どもの今後のことを相談したいと言い、校長先生、学年主任、担任の先生に会わせ、主人と話をさせました。
帰ったあとにどうだったか聞くと「あれは一般社会だったら社会人としてだめだな」と。誰一人責任を負うような発言をしないと。そこで、学校へは無理に行かなくてもいい、と夫婦で対応が一致したんです。
これ、
なかなかの飛び道具じゃないだろうか?
思い返せば――。
8年前、息子が不登校になって、
僕も何度か午後半休を取って
夫婦で学校に面談に行った。
小倉さんのケースと同じく、確か
校長先生、学年主任、担任の先生、
というトリオだった。
僕は小倉さんの夫みたいに
一刀両断することはしない。
こうして時間を割いてくれて
ありがたいな、とは単純に思った。
でも一方で。
言っては悪いけど
「ものすごく頼りになる感じ」
も全然、なかった。
僕らと同じくで、
ああ、あたふたしてるなこの人たちも、
と冷静に思った。
当時は言語化できてなかった。
でも今なら言える。
先生は教えることのプロかもしれない。
でも不登校の子の対応については
悪いけど全然、プロじゃない。
それはたぶん、残念ながら
今もまだ結構そうなんだと思う。
話が逸れた。
学校や先生を批判したいわけじゃない。
小倉さんの話に戻る。
不登校は甘えだ、根性なしだと
「言うだけ番長」
の父親を学校に引っ張っていく。
その動機付けとして――。
社会人としての経験の豊富さ、
人を見る目の確かさを持ち上げる。
そこを言われて悪い気がする人は
いないんじゃないだろうか?
そして実際に自分で見て、
雰囲気を感じ、評価してもらう。
これは大いにアリなんじゃないかな。
そして意外と有効なんじゃないかな、
とも思った。
今日も良い1日を。
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