あなたが最近、
仕事で失敗したのはいつのことですか?
昨日? 先月? 去年?
いや、かれこれ3年くらいは
失敗したことなんてないぜ。
もしかしたらそんな人もいるかも知れない。
仕事という名の辞書には基本、
失敗の文字はない。
もし失敗してしまったら、
早急かつ適切にリカバーし、
原因を調べ必要な対策を講じる。
そうですよね?
思い返せば20代の頃は
それこそ色んなことを「やらかした」。
しまった!と思った時には遅かったこと、
申し訳ございませんとひたすら謝ったこと、
こっぴどく叱られて
始末書を書かされたこと――。
こんな自慢をしても仕方ないのだけど、
その数の多さでは僕はちょっと
人に負けない自信がある。
でも30歳を過ぎ、
気がつけば日陰の雪が溶けているように
失敗すること自体が減り、
いつしか失敗の文字がないのが
デフォルトになり…という人は多いと思う。
だから、
この記事はとても刺さった。
およそきっと、若い頃は、こうした「一方的に何かを教えられる」という経験に事欠かない。
ところが、である。大体30歳前後になってくると、多くの場合、こうやって純粋に何かを「教えられる」という経験が減り、逆に「教える」という立場が多くなる。
これは、非常に危険である。
一方的に教えてもらうときの、あの感覚。「自分がとても無力に感じる」
「猫のようにごろにゃーんとお腹をみせて無防備にする」
「なんでもまずはスポンジのように吸収しようと謙虚になる」
「そもそも、めっちゃ緊張する」
「自分が上手くできるかどうか、不安になる」こういう感じを、忘れてしまうのだ。
30代後半、社会人も長くなり、仕事で途方に暮れることが比較的少なくなると、こうした「無力感」を感じる機会が少なくなってくる。
もちろん、そのほうが楽だし、仕事で失敗はできないから仕方がない部分もある。
だが、同時に貴重な能力である、「学ぶ能力」も低下してしまう。
意識して「教えてもらう側」に回り続けないと、教えてもらうのが下手になってしまうのだ。
身につまされる話ではないだろうか?
意識して教えてもらう側にいないと、
学びがどんどん下手になっていく。
これは本当にその通りだなあと思う。
「できること」「うまくやれること」だけをやっていると、この勘が鈍ってくる。
「失敗しないが普通」ではダメなのだ。
仕事で失敗することは
そんなにあっちゃいけない。
でも筆者が言うように、意識して
生活の中に新しい試みを取り入れることで、
失敗しながら教わっていく、
という経験をすることはできる。
歳を重ねると良いこともあるけど、
同時に錆びついていく部分も多い。
初心忘るべからずというか、
ゴツゴツ色んなところをぶつけながら、
ラクをしないで学ぶ姿勢を持ち続けたい。
そう思う。
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