街角の「日常風景の一つ」になった時に初めて

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昨夜早く寝すぎたせいで、
朝3時台に起きてしまった。

真っ暗だし、寒いし、
ジョギングに出る訳にも行かないので、
積ん読になってた本を手に取った。

読み始めたら止まらず、一気読みした。

『扉を開けて ひきこもり、その声が聞こえますか』
共同通信ひきこもり取材班

とっても良かった。

ただ――とてもじゃないけど
内容を簡単に要約なんてできない本だ。

なので個人的に強く印象に残った部分だけ
2つ、紹介する。

まずひとつめ。

去年起きた川崎と練馬の事件を受けて。

「ひきこもりを犯罪予備軍と扱うのは偏見だ」

という声があがる。

ただその主張は自分はとても嫌いだ、と
元当事者の人が言う。

その理由にハッとなった。

「ひきこもりへの偏見は確かにある。でも『事件を起こすようなやつと一緒にするな』という当事者間の分断で終わってはだめだと思うのです」
二度と悲惨な事件を繰り返さないために、当事者を追い詰めているものに目を向ける必要があるのではないか。「長い間ひきこもって、そんだけ苦しい状況に追い込んでいたのは誰?って。ひきこもりの抱えるしんどさってこれなんやって。誰か言ってあげてよって」

ふたつめ。

女性のひきこもり3人への取材の中の、
最後の言葉。

「周りに理解してもらえなくてもいいけど、批判はしないでほしいですよね」

たくさん考えさせられる本だったけど、
僕にはこの2つの声が強く印象に残った。

ずっしり響いたというか。

なんかさ、、、

にんげんって簡単に仕分けたり、
判断したりしてしまいがちだよね。

そのほうがラクだから。

でも僕らがそうやってラクをしている、
そのことで物凄く
しんどい思いをしている人がいる。
それを忘れないというか、
思いを致す必要があるというか。

そんなこんなを思った。

私たちはその声に謙虚に耳を傾け、他者を排除しようとする自らの内面と向き合う必要がある。ひきこもりが特別なことではなく、街角の「日常風景の一つ」になった時に初めて、誰もが生きやすい社会になる。

「おわりに」に書かれたこの一節。

  • 他者を排除しようとする自らの内面と向き合う必要がある
  • 日常風景になって初めて誰もが生きやすい社会になる

これはまさに、本当に、
その通りだなあ、
と思わずにはいられなかった。

以上です。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。