勉強しろと言われないと、不思議なもので人は……

勉強しろと言われないと、不思議なもので人は

忍介が最近、
ホントにちょっとだけだけど、
算数を勉強している。

黒板スタイルとは無縁だけど

忍介はデモクラティックスクールに通っている。

デモクラティックスクールは、
授業なし・テストなし・先生なし、
すべてを完全に子どもの自主性に
任せるスタイルの学校だ。

スクールに入学して以来、
黒板スタイルの文科省流の勉強とは
5年間、忍介は無縁だ。

僕もうちの奥さんも、
忍介がスクールに通うようになって以降、

「勉強しなさい」

とは言ったことがない。

でも不思議なもので—。

僕らは本気で、
黒板スタイルの勉強は不要だと思っているけど、
意外にも本人はこだわりがあるらしく

小学校4年生の算数の教科書を使って
筆算を解いていたりする。
で、ときどき解き方を質問してくる。

そんなの計算機使えばいいんだよ。
って僕が自分の価値観を押し付けたことは
先日書いた通りだけど

どうやら忍介の中では、
ちゃんといわゆる「勉強」をしていない自分に対して
どこか後ろめたさみたいなものを
持っているらしい。

最近は毎日、
気がつくと小学4年生の筆算の割り算をしている。

先週、旅行に出たときも、
算数の教科書を持参していた。

学歴は補助輪みたいなもの

授業なし・テストなし・先生なし
のデモクラティックスクール。

でも
スクールの中で同い年や少し上の子たちが
高校のことを話していたり、
高卒認定試験を受けたり、

そんな姿を見て、
どうやら世間では学歴というものが
重視されていているらしい、
と忍介は感じているみたいだ。

一方で
振り返ってみれば割り算の筆算ができない、
中学二年生の自分。

「地元の女子中学生たちが
笑いあっているのを見ると、
ぼくのことを馬鹿にしているような気がする」

「ぼくは自分のことを
”飛車”だと思ってたんだけど、
気がついたら実は
しがない”歩”でしかないんだよ」

「学歴っていうのは
自転車の補助輪みたいなものなんだよ」

などと、忍介は言う。

自分の将来のことを、自分で考える

親バカ100%かもしれないけど、

13歳でそういう”観点”を持てるのって、
凄いと思う。

ドライ&リアル過ぎて味気ない、
とも思うけど……

でも少なくとも僕は中学生のときに、
学歴は自転車の補助輪みたいなもんだ、
なんて考えもしなかった。

親が言うから、
大学は行かなきゃな、
って思っていた。
漫然と。

算数の筆算については
個人的に思うところがないではないけど、

(大人になって電卓使わず
3桁4桁の筆算をしたことがある人、
誰かいますか?

あんなものを繰り返しやらせるのって、
不毛以外の何物でもないと僕は思う)

自分の将来のことを
自分で心配する、
自分で考えている、

という部分では
忍介の筆算も、
いいことかもなあ、と

思った次第。

 

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1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。