高1で不登校になったとき。
学校からカウンセラーの先生を紹介された。
なにせ学校が勧めてくるカウンセラーだ。
最初は優しく相談に乗るかもしれない。
でも最終的に何を言われるかはわかってる。
「学校に戻りなさい」
結局そう言うに決まってる。
それがわかってて、そんな信用ならない奴に
なんでわざわざこちらから会いに行くか?
学校からの紹介は無視した。
ただ、このまま欠席が続き
単位を落とせば自動的に退学になる。
この先、自分はどうなるのか?
言い知れぬ不安が募った。
そのとき、例のカウンセラーの
K先生のことが頭をよぎった。
どうせ1回きりの関係なら、
何も気を遣う必要もない。
最初で最後のつもりで
カウンセリングに向かった。
ところが、、、
そうして迎えた最初で最後のカウンセリング。「学校に戻りなさい」と言われる覚悟もしながら、自己紹介を兼ねた一通りの質問に答える。するとK先生は、「大丈夫。僕はみやもと君に“学校に行け”とは言いません。むしろ今は行かなくていいです。話してくれてありがとう」と言ってくれたのだ。
驚くと同時にホッとしたし、自分の気持ちを否定せずに汲んでくれたことも嬉しかった。こんなことなら、もっと早く話をすればよかったと思った。この時の記憶は鮮明だ。目の前の不安が一瞬、消えたような気がした。最初で最後のつもりが、ここから2週間に1度のカウンセリングが始まった。
『不登校新聞』子ども若者編集部記者の
みやもとたかひろさんの話だ。
ああ、このK先生みたいな対応って
いいなあと思った。
僕は学校に行けとは言いません。
むしろ今は行かなくていい。
話してくれてありがとう――。
なんというかね。
この国の大人たちがみんな、
そんなふうに柔らかく子どもに
接しられたらいいのになあと思った。
宮沢賢治の雨ニモマケズじゃないけど、
「そういう人に私はなりたい」というか。
そういう人になりたいな。
今日も良い1日を。
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