幼い頃から何かするたびに
親に「ダメ!ダメ!」と言われてきた。
「なんでダメなの?」
そう聞くと
「そんなことをしたら人に笑われる」
「普通はそんなことをしない」
と言われ、納得しがたい気持ちだった――。
36歳、ミドリさんの話だ。
あ、昨日に引き続き
『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』
の中の相談の話です。
相談の内容と回答の詳細はぜひ、
実際に本をお読みいただくこととして。
本当に毎度ながら
首がもげそうになるくらい、笑
鴻上さんの回答にはうなずくばかりだ。
「そんなことをしたら人に笑われる」
「普通はそんなことをしない」
そう私たちに思わせる
「世間」という存在がある。
その「世間」に囚われていることについて、
少年サッカーの監督に例えた話が
実に、実に、実に、実に、実に、
わかりやすかったのでここで紹介したい。
想像してみてほしい。
あなたが少年サッカーの監督だったとして。
未来のサッカー選手を育てるためにはまず
「自分はどんなサッカーを理想とするか」
がわかってなければならない。
そうですよね?
攻めるサッカーなのか。
走るサッカーなのか。
コンビネーションのサッカーなのか。
いろいろあるだろう。
監督としては、「自分なりの理想のサッカー」があって初めて、選手にどうして欲しいか伝えることができるわけです。
ここで監督が「私の理想は人に笑われないサッカーだ」とか「普通にやるサッカーを目指そう」とか言ったら、選手は唖然として、混乱するでしょうね。
ああ、子育てでもうひとつ多いのは、「人に迷惑をかけない」ですね。「とにかく、人に迷惑をかけないサッカーをしよう。それが理想だ」と言われたら、選手はたぶん、萎縮してどうしていいか分からなくなるんじゃないでしょうか。
なんとわかりやすく、痛快な例え話だろう!
まったく脱帽モノじゃないですか?
「人に迷惑をかけないサッカーをしよう」
「世間」というものを意識するあまり、
そんなおかしなことになっていやしないか?
「親という種族」としてはときどき
自問をしないといけないな、と思った。
いや、本当に。
子育ては大変だと思いますが、少しずつ少しずつ、サッカーの監督がサッカーを知るように、「いろんな人の心の真ん中にあるもの」「いろんな人の人生の考え方」を知っていくのがいいんじゃないかと思います。
何度も繰り返し言うのだけど、
この少年サッカーの監督の例えは
僕には痛烈に分かりやすかった。
(そして思い切り笑った!)
今日も良い1日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!
コメントを残す