ゲームのやりすぎを心配するとき

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早起きしたので「積ん読」だった本を読む。

いまどきのゲーム事情と親子の向きあい方を医療、教育の専門家がアドバイス!

と帯にある。

まあ、ご承知の通り。
我が家の15歳、なかなかのゲーマーだ。

なのでどんなことが書かれているのか、
興味津々で一気に読んだ。

そして改めて意を強くした、というか。

例えば去年、WHOが
「ゲーム障害」を認定した。

障害だの依存だの、そういう言葉を聞くと
親という種族としては心が穏やかでない。

そうですよね?

紹介したい箇所はたくさんあったのだけど、
突き詰めて言うなら、という部分で
僕にはここが一番響いた。

「障害」というからには、基本的には本人がそのことで生活上に支障をきたしているかというのがもっとも大事なところです。たとえば本人が「やめたいけどやめられないから、どうしよう?」と悩んでいる。幸福度が低いということになっていれば、それは医療が関与する意味があると思います。
それは発達障害の話と同じで、どんなに特性があっても、本人が困っていない、本人の幸福度が非常に高いというのであれば、問題にならない。家族の歩み寄りもあり、社会ともうまくおりあって障壁がないというのであれば、それは「障害」ではない。そういう話だと思います。
(P.74 児童精神科医・関正樹さん)

本人の幸福度と、周りとの折り合い。
ポイントはホントここだよね、と。

家族と雑談もできる良い関係であれば、
特に相談の必要はない――。

そうは思ってはいた。
思ってはいたのだけど、改めて
そういう言葉が並んでて心強い思いがした。

最後、あとがきにあった山田太一脚本の
「早春スケッチブック」という
ドラマの中の台詞も良かった。

それは、はたから見れば下らない。そんな暇があったら勉強した方がいい、と大人は思うだろう。
しかし、ちがうんだ。肝心なのは、夢中になっているということなんだ。なにかに、深く心をそそいでいるということなんだ。それが心を育てるんだ。それに比べたら勉強が出来るなんてことはつまらないことだ。

ゲームをやりながら汚い言葉を吐く。
そのことについ、心配になったりもする。

でもハマる=夢中になる、真剣に取り組む、
その良き側面も必ずあるはずで。

「肝心なのは夢中になっていること」

なんか、こんな「変換」ができると、
いいよなあ。簡単じゃないけど…。

そう思った次第。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。