言葉って難しい。
本当に難しいと思う。
よく毎日ブログなんか無邪気に書くよな、
と自分でも思う。
陽気に無意識で書き飛ばしたことが、
もしかしたら誰かを傷つけるかも知れない。
そう思ったら何も書けない。
だから気にせず能天気に書いている――
という訳でもない。
一応、こう見えて気をつけてはいる。
ただどうにも気づかないところで、
至らない点もきっと多いとも思う。
ちょっと、ちょっと、カネコさん!
何をぐだぐだ書いてるの?
はい、スミマセン…。
ぐだぐだになったそのきっかけは、
元を辿ればこの記事を読んだからだ。
18歳でひきこもった一人息子。
7年後に部屋から出て、
社会へと踏み出すまでの期間を共に過ごした
母親・瀧本真紀子さんの言葉だ。
特に最後の一節がじーんと響いた。
また、ひきこもりの子を持つ親は、しばしば支援者らに「わが子に笑ってほしいだけなんです」と訴えます。ただ、ささやかに聞こえるそんな願いについて、真紀子さんは「子どもにとってかなりの『圧』では」と苦笑します。「母親自身が笑顔を失っているときに、子どもに『笑ってほしい』と無理難題を要求してはいけません。まずは母親が笑うことで、周囲を巻き込んでいければいいですね」
わが子に笑ってほしいだけ。
ただそれだけ。
そこだけを切り取れば、
親としてそんなにキテレツな
願望じゃないように聞こえる。
そうですよね?
でも、相手が言葉にできないほどの辛さ、
苦しさをかかえている時。
全てをシャットアウトして
ひきこもっている時。
そのささやかに聞こえる願いは
かなりの「圧」になる。
そして自分自身が笑顔を失っている時、
それを相手に要求するのは無理難題だ、と。
ああ、これは本当にそうだよなーと。
思って、いろいろ考えて、
ぐるぐる頭が回っているうちに、
変なスイッチが入ってしまって
なぜか冒頭のぐだぐだに着地した次第。
まあ、それはさておき。
- 「心を閉ざしているのは私」 気づいて楽に
- 親子も他人。突き放せれば楽になる
そんな言葉も響いた。
記事すごく良いので、
よろしければぜひ全文を。
今日も良い1日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!
コメントを残す