小5の男の子がフリースクールに入った。
当初、不安そうだったものの、
一緒にゲームをする仲間と出会い
みるみる表情が明るくなった。
「明日、またな」
友達と声をかけあって帰っていく。
ただ一週間後、パタリと来なくなった。
フリースクールに行きたくない理由は?
「理由を尋ねても、ただ”行きたくない”
と言うだけなんです。何かあったんですか」
とお母さんがフリースクールに聞いてきた。
本人に電話で理由を聞いてみると、、、
フリースクールから帰宅すると
「今日は何の勉強をしたの?」
とお母さんが毎日必ず聞いてくる。
「おでかけ企画もせっかくなんだから
行かなきゃダメじゃないの」と諭される。
フリースクールにさえ行かなければ、
お母さんにあれこれ言われないハズ。
だから行くのをやめたのだ、と。
そうか、わかった。
お母さんに事情を話して、
あれこれ聞かないようにお母さんに
約束してもらうから。
そう告げると、男の子はまた
安心して通ってくるようになったという。
印象深いエピソードだった。
フリースクールの草分け
東京シューレを立ち上げた奥地圭子さんの
『明るい不登校』で紹介されている話だ。
「フリースクールでもちゃんと学んでいる」
親はそうやって安心したいのだ。
これはデモクラティックスクールに
息子が通うようになった最初の頃、
僕にも覚えがある。
アイタタタ!という気分で読んだ。
勉強の遅れが心配
もうひとつ。
「確かにそうかも」と思いながら読んだ。
勉強が遅れるのが不安、
という保護者からの相談に対して
奥地さんが回答する中の一節だ。
3ヶ月休めば3ヶ月分。
1年休めば1年分。勉強が遅れてしまう。
親はとかくそう考えがちだ。
でも例えば中1の子が小5の学習から
やり直す必要があったとする。
小5の学習は小5の子にとっては
1年かかるものだ。
でもそれは中1にとっても
同じく1年かかるものだろうか?
中1の理解力は年齢相応に上がっている。
だから小5の学習は中1には時間的には
3分の1か4分の1の時間で
済んでしまうことが多い。
嫌でも少しずつやらせないと、というのは、大人の観念や焦りのためです。
小4以降ほぼ勉強しなかった15歳
小学校3年生で不登校になって、
その後、授業もテストも先生もない
デモクラティックスクールへ5年通った。
そして去年1年、家にひきこもった忍介。
まあ、簡単に言うと
小学4年生以降の勉強はほぼしていない。
正味、6年分のブランクだ。
にも関わらず、この春から一応、
通信制高校に在籍している。
本人はかなり大変なのかもしれない。
でもぶつくさ言いながらも、今のところ
なんとか月次のレポートは出している。
思うのはやっぱりこの
「年齢相応の理解力向上」
が、遅れのリカバーに
大きく作用している気がする。
合点がいく話だった。
不登校を認めることこそ
奥地圭子著
明るい不登校
創造性は「学校」外でひらく
通して読むと、特に第5章の
「不登校はどんな扱いを受けてきたか」
は胸にぐっと迫るものがあった。
粘り強く長年活動を続けてきた
奥地さんだからこその、
説得力に溢れる本だった。
ちなみに。
僕が一番素敵だなあ、と思ったのは
実は「まえがき」に書かれた
この部分だった。
当たり前のことですが、「明るい不登校」とは、「不登校とは明るいものでなければならない」とか「暗くあってはならない」という規範的な意味で言っているわけではありません。
(略)
友人は? 勉強は? 将来は?と不安になったとき、学校以外の「多様な学びの場」があると知ると、子どもは本当に明るくなります。それまで「自分は死んだほうがまし」と暗く沈んでいた子が、驚くような力を発揮して成長していきます。不登校を認めることこそ、明るい人生につながるなあ、「治す(直す)」より「受けとめる」ことだなあ、と私はずっと思ってきました。書名にはそんな思いを盛り込んでいます。
不登校を認めることこそ、
明るい人生につながる。
「治す(直す)」より「受けとめる」こと。
まあ、言うほど簡単じゃないんだけどね。笑
今日も良い1日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!
こんにちは。
息子さんと二男はすごく共通点があります。
高校くらいは出た方がいいと勝手に思っていますが、今勉強してなくて高校に繋がるのかという親の不安もあって。
今日の内容はすごく納得できました。
勉強の面も。
行動できるとすぐにあと一つステップアップして欲しいと思ってしまう事も反省。
ありがとうございました^ ^
suzzyさん、コメントありがとうございます。
勉強の面、つい心配してしまいますよね。
奥地さんに「嫌でも少しずつやらせないと、というのは、大人の観念や焦りのため」と明確に言葉にしてもらって、合点がいく思いでした。