朝起きられないことが続いて、
子どもが不登校になった。
まずは規則正しい生活を送ることを徹底。
すると、体を動かしてアルバイトなど
社会参加をするようになった。
不登校になっても、甘やかして
だらしない生活を送るのは間違っている。
過保護はよくない。
という意見が寄せられたらしい。
7月1日号不登校新聞『子どものわかり方』
庄司証さんのコラムの話だ。
まあ、いまだにこういう意見は
案外、多いのだろうと思う。
「過保護だ」
なんというか、この言葉ほど
親という種族に刺さりやすい言葉って
他にないんじゃないかな?
これを言われると、パブロフの犬のように
親の心はザワついてしまう。
ある意味、非常に便利な魔法の言葉だ。
でもね、と思う。
コレ、ただ単に言う側の価値観を
相手にぶつけてるだけだよなあ、と。
確かに規則正しい生活を続けることで
何かが変わることもある。
同じように、何も変わらないこともある。
思うのだけど――。
親が子どもの何かを変えられる、
そう考えること自体が傲慢なんじゃないか?
ちょうど庄司さんのコラムの真下にあった
鈴木結さんの言葉がすごく良かった。
『娘からの返信』
不登校経験者として
ホームスクーラーの母として
の最終回だ。
子どもが種だとすると、親は土、土から上が社会や学校。
土のもとにやってきた種が、どんな花を咲かせるかを土が決めることはできないし、土のうえで起こる嵐や日照りを止めることもできません。土である親にできることは、ひたすらに愛情や安心感という名の栄養を注ぎ、「どんな花が咲くのかなー」と楽しみに待つだけ。それ以上を望むときっと、親も子も苦しくなるから、親は大地としてただそこにあればいい、これが私の子育て観です。
確かに、嵐や日照りもあるだろう。
だからこそ。
ひたすらに栄養を注ぐだけ。
大地としてただそこにあればいい。
まったくもってその通りじゃないだろうか?
どこかの誰かがシタリ顔で言う、
不登校を許すのは過保護だとかなんだとか。
そんなの全部ぶっ飛ばせ!笑
今日も良い1日を。
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ある有名な園芸評論家が子育てと野菜づくりは同じだと言っていた。同じ株からできた種でも、芽生えの日や伸びる速さがそれぞれ違う。厳しい環境の変化に絶滅しないための工夫だ。子供がそれぞれ違って当たり前。野菜づくりは水や肥料は少なくやる方が、根自ら肥やしを探し伸びて大きく成長するという。過度にやるすぎると枯れてしまうこともある。人間の親は見た目を心配してあれこれといじってしまう。教え込む教育より、子供がもつ自らの成長力を信じることが大事だと思う。
言われてみれば、本当にそうですね。
過度に水や肥料をあげると枯れてしまう。子ども自身の成長力を信じる――。
深く納得です。ありがとうございます。