「ねえお父さん、
スタート・オブ・マイ・ハード
ってどういう意味?」
15歳の忍介が僕にたずねてくる。
「ん?どういう文脈の話?」
「いや、曲の歌詞なんだけど」
スタート・オブ・マイ・ハード、
っていくらなんでもおかしい。
スペルを見せてもらったら
state of my headだった。
うん、惜しいね。
一文字ずつ微妙に間違ってる。笑
忍介は中学校に一度も行かなかった。
英語はまったく勉強していない。
先日もaとtheの違いを聞かれて教えた。
そのくせexecution(執行)みたいな、
割と難しい単語は知っている。
「忍殺、エクスキューション!」
とゲームの中で出てくるから知るらしい。
なんともそのアンバランスさが面白いな、
と見ているのだけど。
5月1日の不登校新聞、
函館フリースクールすまいる代表の
庄司証さんのコラム
「コロナの影響、不登校には」
の一節がよかった。
それから「学びを止めない」というフレーズも目にするようになりましたが、学びは、もっと生に基づく本質的なものだ、と私は捉えています。学校が休みになったくらいで、子どもの学びが止められたりしません。ですから、あえて表現するならば、「学びを自由に」、と思うのです。行動は制限されているとしても、思いは自由であることを大切に。
「勉強の遅れが心配」
コロナ情報は見ない僕にも、
そういう言葉は時々目に入る。
そしていろんな教材がオンラインで
無償で提供されるようにもなった。
結構なことだと思うし、
ケチをつけるつもりはない。
ただ「学びを止めない」と
大人がやいのやいの騒ぐのはどうかと思う。
なんとかして子どもたちに勉強させよう、
そんな下心は要らないし、良くないと思う。
「学びを自由に」
これは素敵な言い方だと思った。
そもそも。
学校がちょっと休みになったくらいで
止まってしまう「学び」なんて、
大したものじゃないんじゃないの?
なんて言うかな、、、
もっと大らかに見ていいような気がする。
目先の「勉強」に囚われすぎてるというか。
aとtheの違いはわからないけど
executionは知ったりする。
子どもは必要があれば覚えるし、
身につけるんじゃないかな、と。
大人が色々、順番通りに
お膳立てしすぎてしまうのは
どうかな、と。
もっと学びを自由に。
そして大人も学ぼう。
子どもに「学ばせよう」とするのではなく。
今日も良い1日を。
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