なぜマラソンを走るのか?
前にも書いたことだけど。
なぜマラソンを走るのか?
もちろん人それぞれだとは思う。
でも僕に関して言えば
「努力したぶん、結果が出るのが楽しい」
というのが大きい。
完走するだけならいざ知らず、
ある程度のタイムを狙うとなると、
数週間練習したくらいでは難しい。
最低でも3ヶ月くらいは日々、
それなりの距離も時間も走る必要がある。
毎日の生活の中でコツコツと
時間を見つけ、作り、走る。
まあ、地味な作業だ。
でもその積み重ねがレース当日に花開く。
あ、撃沈ランナーのわたくしの場合、
積み重ねた以上のものを狙って、
花開かないこともママあるけれど…。
がんばれば報われるに取り憑かれる
いずれにせよ。
思い通りにならないことの多い
日常の中で、達成感を味わえる。
一言で言えばそれが走る理由だ。
なので、この記事の
「ゲームはがんばれば報われるもの」という
この部分を読んだときにハッとなった。
さて、自分自身がゲームをやるようになってから、自分がいかにゲームについて無理解……というか、知らなかったのかを思い知った。
ゲームというのは、「がんばれば報われる」のが基本だ。
ある程度パターンがあり、それを理解して攻略していく。
レベルを上げれば強くなる。
強い敵を倒せばよりよいアイテムがもらえる(なお、ソシャゲ界隈では課金は努力に含まれる)。よく考えたら、大人になって、「努力すれば必ず報われる」という状況はなかなかない。
むしろ、「努力してもどうしようもない」「かんたんに勝ち負けを決められない」ことのほうが多いくらいだ。だからみんな、「がんばれば報われる」に取り憑かれる。
「あとちょっとやれば勝てる!」と熱くなるし、勝った瞬間の達成感が病みつきになる。
自分の成長をわかりやすく実感できるのが、気持ちいいのだ。
コレ、まさに僕がマラソンに対して
感じていること、そのまんまじゃないか!
でもよく考えてみれば15歳のゲーム達人を
身近に見てるのでわかる。
忍介だって僕と同じなのだ。
ランニングシューズ履いて外に出るか、
モニターの前にヘッドフォンで
陣取るかの違いだけだよな、と。
達成感を味わっている
不登校の子やひきこもりの人が
部屋でゲームを続けていると、
親は眉をひそめる。
遊んでいる。怠けている。
時間を無駄にしている。
そう思いがちだ。
でも、こう考えてみたらどうだろうか?
うまく行かないことだらけの日常の中で、
小さくとも確かな達成感を今、
彼らはしっかりと味わっているのだ、と。
達成感、大事ですよね?
改めてそんなこんなを思った。
忘れかけてた視点だった。
最後に。
香川県議会の皆さんにはぜひ、
この記事読んでみてほしいな。
今日も良い1日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
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