娘が保育園に短冊を持っていくという。
お母さんの願いごとはなあに?
と聞かれた母親はこう答える。
「あなたが大人になって
好きな人と結婚して幸せになることよ」
そして思う。
娘との今の幸せな時間を大切にしよう。
まだ幼いけど、
いつか大人になっていくのだから、と。
一見、良い話だ。
ああそうですか。今の娘さんとの
幸せな時間を大切にしてくださいねー。
そう思う。
でもここには危うさがある
と『子どもが幸せになることば』の中で
田中茂樹先生は指摘する。
「お母さんのお願いごとはなーに?」と聞かれたのに、「あなたにこうなってほしい」と娘に指示する形になっています。
母親は、自分がそのような要求をしてしまっていることに、気がついていないようです。でも、
・大人になりなさい
・好きな人をみつけて結婚しなさい
・幸せになりなさい
その指示の一つひとつが、人生の大きな課題ともいえる、重たい指示です。
この部分を読んだとき、
本当にハッとさせられた。
こと自分の子どものことになると
親はついついあれこれと先回りして
色んなことを願ってしまう。
辛い目にあわないように。
苦しい思いをしないように。
楽しく幸せな人生を歩んで欲しい。
でも、それは親の人生ではなく
子どもの人生なのだ。
指示するものじゃない。
以前の僕――、
つまり忍介の不登校を経験する前の僕は、
完全に先回りする親だった。
そこに石があると、
忍介が転ぶ前に石をどけようとした。
つまづかないで歩くコツを教えようとした。
転んだときには、転んだ原因と
転ばないための対策を説こうとした。
ジャリ道を歩くこと自体の愚を
教え諭していたかも知れない。
でもね、と今にして思う。
つまづいて転ぶことも、
膝をすりむくことも、
そこから立ち上がって
何かを学び取っていくのも、
子ども自身であるべきだ。
生き方を指示しない
親はついつい、あれこれ考える。
でもそこにジャッジや比較、
期待があると、子どもにとっては面倒だ。
「型にはまらず、自由に、
自分らしく生きてほしい」
これは特に僕のような
「子どもに理解がある風の親」
が言いがちな言葉だ。
でもここにも知らず知らずのうちに
「生き方の指示」がある。
それよりも、
「そのままがいい。そのままで大好きだ」
こちらの方がより、
子どもを信じる言葉だ、と。
心に留めたいと思う。
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