それはある日、突然やってくる。
そう、子どもの不登校だ。
もちろん、話に聞いたことはあった。
でもまさか、うちの子に限って……。
「ここで止めなければ」
「親である自分がなんとかしなければ」
そうやって親がすべての責任を背負いこむ。
そして家の中の空気は
どんどん張り詰めていく。
せき払いやドアを閉める音、
ちょっとしたため息。
そんな小さな物音さえも、
学校に行かない子を持つ家庭の中では
とても大きな意味を持ち始める。
いつしか不登校の子は
ピタリと口を閉ざすようになる。
きょうだいたちは
「あなたは大丈夫だよね?」
という親の無言のプレッシャーに
さらされて我慢を重ねる。
誰も間違ったことをしていない。
親も子もそれぞれができる
精一杯の選択をしている。
それでも頑張れば頑張るほど、
どんどん状況は悪くなる。
誰も悪くない。
それなのにいつの間にか
出口が消えてしまう――。
タイトルにもある通り
「きょうだい」に焦点を当てて
書かれているのが印象的だった。
親・きょうだい・本人、
それぞれの視点から見た
不登校を紐解くことで、
家族関係がギクシャクしていく
プロセスがとてもリアルに
理解できる内容になっていると思う。
「なんとかしなければ」と親は焦る。
でもその「なんとか」って実は
とても曖昧で、たいてい
「学校に戻すこと」だったりする。
とにかく親には
「動いていない時間=悪い時間」
という感覚がある。
「普通に戻さなければ」と親は焦る。
でもその「普通」っていったい何?
「元の生活に戻すこと」
が本当にゴールなのか?
「戻る」よりも「変わる」可能性を
想像できなくなっているのでは?
「親の対応ですべて決まる」と親は焦る。
「正解探し」の果てしない無限ループに陥る。
支えることと、背負うことの境界が消えて、
知らず知らず「コントロール」することに
変わってしまう。
そんな親のリアルな心境に対して
著者の山本さんは「本当に?」
と次々と疑問を投げかけてくる。
朝は起きて学校に行く。夜は早く寝る。
そんな「正しい生活」を目標にすると、
そこに届かない現実ばかりが見えてしまう。
そうですよね?
ならば「正しいこと」より
「今できること」を選びましょうと。
今日は少し会話できた。
一緒にご飯を食べられた。
少し外の空気が吸えた。
そういう小さな変化も
十分な前進なんですと。
不登校を「解決」するのではなく、
「今の状態をどう共に生きていくか」
という視点に切り替えていく。
変化を急がないことが逆に回復を早める。
このあたりの具体的な話はぜひ
本書を読んでもらうこととして――。
僕が一番刺さったのはやっぱり
最後のこの部分だった。
子どもの不登校の経験は、決して楽なものではありません。
けれどもその経験は、「家族とは何か」「親として何を大切にしたいのか」を深いところから問い直すきっかけにもなります。
すぐに答えが出なくてもかまいません。
ただ、何十年先に「いろいろあったけれど、この家族でよかった」と思える家族の関係を目指していくことは、今を生きる家族にとって大きな支えになります。
ついつい、親としては
目の前の困りごとに目が行きがちだ。
でも家族はその場限りで
終わる間柄じゃない。
何十年先まで続く長い関係をどう残すのか。
目の前の変化を急ぐより、まずは
関係を壊さないことを優先する。
そういう視点を持ちたい。
そうは思いませんか?
今日も良い一日を。
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