ときどきびっくりするほど酷い言葉を
勝手に投げつけてくる人がいる。
まるで道を歩いていたらいきなり
猿がウンコ投げつけてきたみたいな話だ。
まったく意味がわからない。
でもまあ、その人の何か癇に障るものが
僕らにはあるのだろう。
ものすごく嫌な気分になりながら、
反撃するでもなくそっとやり過ごす。
さっさと忘れよう。
ハイおしまい。
僕は誰かを「敵」にするのは好きじゃない。
でも誰かを敵とわかりやすく設定すれば、
熱狂と団結を生み出せることも知っている。
アドルフ・ヒトラーはユダヤ人を敵にした。
小泉純一郎は郵政民営化反対を敵にした。
結果は?
熱狂と団結だ。
ル・ボンの群衆心理ってやつだ。
でもね、思った。
誰かを敵にするつもりはない。
過度な熱狂と団結は危険だと思ってる。
例えば不登校界隈で言えば、
学校も先生も教育委員会も文科省も
フリースクールも親の会もみんな、
子どもの幸せを中心に考えているはずだ。
多少の方向性の違いや温度差はあれど。
問題は、猿のウンコを投げつける、
その人の内側にあるものだ。
その人の内側にあるもの。
それはきっと人生の満たされなさや、
ずっと抱えているやりきれなさ、
誰にもわかってもらえない淋しさだ。
そういったものがあるから、
人は猿になってウンコを投げる。
ですよね?
満たされて幸福で満足している人は、
見知らぬ誰かに無礼な攻撃などしない。
だから僕がもし敵を設定するとしたら、
そういう人の内なる満たされなさや、
やりきれなさ、わかってもらえなさを
あえて敵にしたい。
その人の中からなんとか追い払いたい。
でも、どうやって?
いい質問です。
――と切り返す人は
だいたい明快な答えを持ってない。笑
うーん。
世の中を1ミリでも明るく楽しく、
良い方向に変えようと少しでも
一人一人が日々、努めていくこと。
じゃないかしら?
なあんて。抽象的に思う次第。
今日も一人語りをご清聴いただき、
ありがとうございました。
良い1日を。
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