ロストフに咲いて、散った夢

ロストフに咲いて、散った夢

息子が徹夜でゲームしていることは
自分と切り離せているんだけど、

どうしても自分と切り離して
考えられないことが、実は僕にはある。

サッカー日本代表のことだ。

いまだにW杯ロスから立ち直れない

初戦コロンビア戦の3日前、
こんな記事を書いた。

ロシアに向けて愛をこめて

2018.06.16

正直、本当に厳しいと思っていた。

それでもどうしても、
期待しないではいられなかった。

でも期待するあまり、
残酷な結果に惨めに傷つく、

それもイヤだった。

そんな面倒臭い有象無象を抱えていた。

だから、
香川のPKが決まってからの2週間、
頭の中は常にお花畑だった。

これがずっと続いて欲しい。
そう願っていた。

・・・・・・・・・・

そして迎えた、運命のベルギー戦。

”魂のディフェンス”を見せた前半にも
大いに心震わされるものがあったけど、

後半立ち上がり、
柴崎の魚雷のようなスルーパス!

DFラインの裏に走り込んだ原口が
右足を振り抜いてからは、

人生MAX、アドレナリンの虹の中だった。

乾の2点目が決まった時には、

「おい、これは本当に今、
地球上で起きていることなのか?」

って、イギリスの記者たちは
顔を見合わせたそうだけど、

それは僕も同じだった。

そして怒涛のベルギーの反撃と、
アディショナルタイムの
信じられないような、あの幕切れ。

あまりにもショックなことがあると
記憶が書き換わることがある、
というのも人生で初めて経験した。

TVのハイライト映像を見て、

「おい!いい加減な編集してんじゃねえよ」

って思わず画面に文句を言ったんだけど、
いい加減だったのは僕の記憶の方で。

”むしり取られた”とでも言いたくなるような
フェライニの同点ゴールと

優雅な平安時代の蹴鞠のように
忌々しい軌道を描いた1点目とを、

順番を間違えて記憶していた。
失点の記憶がテレコになっていた。
それだけ、ショックが大きかった。

・・・・・・・・・・

思い返せば—

93年アメリカW杯のアジア最終予選。
いわゆるドーハの悲劇を目撃して以降、

東京で行われた日本代表の
ほぼ全てのゲームを
僕はスタジアムで応援した。

97年のフランスW杯アジア最終予選では
国内の全試合はもちろん、

アウェイのソウルにも、
ジョホールバルにも応援に行った。

もちろん、会社を休んで!

レプリカのユニフォームを着て
ゴール裏に陣取ることはなくなったけど、

日本代表を応援することは、
もう僕の一部だった。

ロシアでの我らが代表は
最高にエキサイティングだった。
美しかったし、勇敢だった。

でも最高であったがゆえに
いまだに深く、心に傷が残っている。

結果を変えられないのは
もちろんわかっている。

それでも、あの時、
もしああだったら…と

未だに胸がうずいて、仕方ない。

何度も未練がましく
リプレイを見返してしまう。

昨日も今日も、そして多分明日も…。

親業で言う

「誰が問題を抱えているか?」

で言えば、
完全に僕が問題を抱えている。

頭ではわかっていても、
どうしても手放せない執着。

多分、時間しか癒せないんだろう。

ああ、
それにしても…。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。