他人に信じてもらうためには…

他人に信じてもらうためには…

とある本の中に出てきた
印象深いエピソードの紹介。

・・・・・・・・・・

ある裁判。

殺人事件で罪に問われた
被告とその弁護士。

被害者の遺体は発見されていないものの、
状況証拠が多く、犯人の有罪判決は濃厚。

そんな中の、最終弁論。

弁護士は立ち上がり
法廷の扉を指して言った。

「みなさん、聞いてください。

これから60秒後にあの扉から
本事件の被害者が現れます。

そうです、死んだはずの被害者です。
まさにあの扉の向こうからです。

では、カウントします」

そう言って1、2、3と数え出す。

満場、一斉に固唾を飲んで扉を見る。
弁護士のカウントダウンが続く。

34、35、36、37…

そして

57、58、59、60!

被害者は現れたか?

いや、扉は開かない。

しばらくして弁護士が口を開く。

「皆さんに謝らなければなりません。
事実に反することを申し上げました。

ただ、ひとつ
認めていただきたいのです。

私があの扉の向こうから
被害者が現れますと言って
カウントダウンをした時、

誰もが扉を見たのは事実です。

”ひょっとしたら…”

そう思ったからではありませんか?

確かに状況証拠は揃っています。
でも、ひょっとしたら…。

もし陪審員の皆さんの心の中に
そういう疑念が少しでも残っているのなら、

判決は無罪としてください。
いや、無罪とすべきではありませんか?」

こうして最終弁論は終わり、
陪審員たちは評議するため別室へ。

5分後、陪審員たちは法廷に戻り、
裁判官に促されて陪審員長が判決を述べた。

「有罪」と。

弁護士が思わず聞き返す。

「なぜですか?ここにいる全員が、
あの扉を見たではありませんか?」

陪審員長が静かに答える。

「ええ、その通り。
確かに私たち全員は
あの扉を見ました。

でも私たちは同時に、
あなたと被告人の顔も見ました。

そして、あなたも被告人も
どちらも扉を見ていないことに
気がつきました。

なぜ扉を見ていなかったか?

扉から被害者が現れるということを
信じていなかったからです」

・・・・・・・・・・

この話の教訓は何か?

自分自身が信じていないことを、
誰かが信じるという期待を抱くな、

ということだ。

なんだか、ちょっと
胸に手をおいてみたくなる
話だと思った。

あの扉を見ろ、
と言いながら、自分は見ていない。

自分で本当のところは信じていないことを
他人に信じさせようとする。

いや、自分はいつもすべてを信じてるよ、

と胸を張れる人は
それでいいと思う。

本当に信じていて
扉に顔を向け続けているか?

それって当たり前のことだけど
でも大切なことだよなあ、と。

・・・・・・・・・・

最後にもうひとつ、個人的に…

正直、弁護士のレトリックの巧みさに
思わずやられそうになったのも、
反省です。笑

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在通信制高校1年生・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』を出版しています。