すべておとなが勝手に使っている言葉

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昨日に引き続きなのだけど、、、

フリースペースたまりばの西野さんの本、
『居場所のちから』。

けっこう色々、頭に残っていて。

いいなと思った部分、2箇所紹介。

  • 子どもの話を聴く
  • 寄り添う
  • 受けとめる

コレ、良いことのように聞こえますよね?

でも、、、

世田谷で長く児童館職員をされてきた
沢畑勉はこう語っているという。

「子どもの話を聴くとか、寄りそうとか、受けとめるとかいうのは、すべておとなが勝手に使っている言葉。子どものほうが話を聴いてもらえたとか、受けとめてもらえたと思ったときにしか成立しない」

これは、地味にガツンときた。

言われてみればではあるのだけど、
本当にその通りじゃないだろうか?

特に親はそうなりがちなのだけど、
どこか子どものことを
上から見てしまっているように思う。

だから聴いて“あげる”とか、
受けとめて“あげる”とか、

ともすればそういう姿勢になりがちだ。

でも、相手がどう受け取ったのか?

大切なのはそこなんだよな。

もうひとつ、
「導く」ということについて。

問題の解決は、その子自身にしかできない。そこで、導いてあげようなどという目線からはずれて、ただ寄りそうというスタンスに身をおいてみる。この寄りそうというのは、実は導くよりもずっとむずかしいことなのだ。一方的な気持ちの押しつけだけでは成立しない。あくまでも、お互いの気持ちが一致するということが前提になっているからだ。これは、とくに思春期の子どもとかかわるときに、どうしても手に入れておきたい「まなざし」なのである。

こちらは西野さんの言葉だ。

なんかね、ついついね、
導いて“あげたく”なっちゃう、

そのココロ、要注意ですから!笑

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。