問題にしない意識

Sponsored Link

 

ふと思いついたので書いてみる。

一番大事なこと。

それは「問題にしない意識」
なんじゃないかなあと。

不登校で学校に行っていない。
昼夜逆転している上に、
勉強はまったく手についていない。

何年もひきこもっている。
部屋から出ないまま時間だけがすぎていく。

これを、どう捉えるか?

「改善すべき問題」

と多くの人は捉える。

でも非常に逆説的だと思うのだけど、
これを「問題にしない意識」が
実は一番大事なんじゃないかと思う。

とにかく今の状態を問題視しないこと。

だからって腫れ物扱いするわけじゃない。

なぜか?

腫れ物扱いは完全に今の状態を
「問題にしている」からだ。

そうじゃない。

ただただ、今という時間を
本人と一緒に過ごす。

将来のこと?

それは一旦、忘れよう。
誰にも制御できないことなんだから。

問題にしない意識。

難しいことだ。
難しいのはわかってる。

でもそうやって親の心の水面から
さざ波が消えていくと、不思議と
物事が少し変わりだす。

この活動をしていて思うのは、
そういう例がとても多いということだ。

もちろん短期的には
変わらない例もあるだろう。

でも例えば我が家のことを考えてみても。

小3で不登校になって、
その後デモクラティックスクールに
通うようになった。

でもそのスクールもぷっつり急にやめた。

そしてほぼ2年間、完全に
びっしり家にひきこもっていた。

冗談抜きで正真正銘のガチこもりだった。
学齢で言えば中3と高1の2年間だ。

稀に彼が外出するときは僕は心の中で
「出陣の法螺貝」を
ボオォォ〜〜と吹いたものだった。

白状すると、最初は
さすがに心穏やかではなかった。

でも心配したって仕方がない。

ワラタネの後藤誠子さんが言うところの
「やさしく諦める」境地で、
本人のその状態を「問題」にしないように
普段通り接するようにした。

まあ、簡単に言えば放っておいたわけだ。

たぶんこのまま彼は
ひきこもり続けるんだろうな……。

そう思っていたら。

2年経っていきなりアルバイトを始めた。
ワンレンみたいだった長髪も切った。

それまでを考えるとびっくり仰天だった。

そうやってバイトを1年間続けて、
またまた今年の春に急にぷっつりやめた。

今はすっかり以前と同じ、
昼夜逆転のゲーマーこもりびとだ。

でもさすがにこういう展開を経験すると、
もう親があれこれ細かく心配すること、
それ自体がバカバカしくなる。

親は親で、子どもは子どもだ。
そして子どもなりにいろいろ考えてる。

だから本人の状態を問題視しない。
ただただ今という時間を一緒に過ごす。

ハンドルから文字通り両手を離す。

難しいとは思う。

でもね、親がどんだけ地団駄踏んでも
脅してもなだめすかしても、
動かないときは子どもは動かない。

それも数ヶ月単位じゃなく、年単位でだ。

そう考えると万事、、、

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

という「ニーバーの祈り」に行き着く。

変えられないものと変えるべきもの。
それを区別する賢さ←まさにココだよね。

すみません、たわたわと
脳内独り言を書いてるうちに、
着地できなくなったので強制終了します。

アディオス!

今日も良い1日を。

プロフィール写真

 

記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。

更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
Sponsored Link



まず親が幸せになる|びーんずネット

不登校のセミナーやカウンセリング、インタビュー事例集をお届けする活動を夫婦でしています。ぜひご覧ください。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。