どんな髭剃りにも哲学がある、
と言ったのはサマセット・モームで、
この言葉を有名にしたのは村上春樹だ。
髭剃りに関して言うなら、僕は10代の頃から
一貫してウェットシェービング派だ。
そしてカミソリは3枚刃のものを使っている。
世の最新の刃は5枚刃のものなんだけど、
5枚刃のものは肌に優しくない。
カミソリ負けもしやすい、と聞く。
だから僕は3枚刃を使っている。
3枚刃の方が価格が安いというのもある。
なのでそのぶん刃を頻繁に交換している。
メーカー推奨は確か2〜3週間から1ヶ月で
交換のところ、少し贅沢だと思うのだけど
僕の場合は1週間で交換している。
ただ――
ここのところ、
剃り残しが気になることが増えていて。
5枚刃をどうしても試してみたい。
その誘惑に負けて、
ついに浮気をしてしまった。
その5枚刃。やっぱりよく剃れた。
1週間使い続けた。
やっぱりよく剃れる。
でも、、、
なんだろうな?
言うならば、よく剃れ”過ぎる”。
時々、ピキッと肌が突っ張る感じもある。
それで昨日は3枚刃に戻した。
戻したら安心の剃り心地だった。
剃り残しが出やすい場所もいつも通り。
だから丁寧に剃る。
やっぱり僕には3枚刃が使いやすかった。
何が言いたいか?
違いを知ることは大事だなあ、
と改めて思った。
違いを知った上で、好きな方を選べばいい。
そうですよね?
そういう意味で今、教育は公教育一択だ。
子どもには今の学校以外の選択肢がない。
あなたの地域の中学校はここです。
だからここに行ってください。
フリースクール?
ホームエデュケーション?
そんなの選べません。
教育といえば学校のことです。
これって全員、5枚刃を使うことを
強制されているようなものだ。
でも5枚刃が文字通り
「肌にあわない」場合――
他の選択肢があっていいんじゃないか。
比べて、選べる方が健全じゃないだろうか。
スミマセン、カネコさん。
ちょっと言ってもいいですか?
髭剃りの話から、そこへ行くんですか?
そこへ行くんです、このブログは。笑
今日も良い1日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!
今、学校は、全員が「同じ」であることを前提にして、全員に同じことを要求しています。全員が自宅に学習環境(宿題)があり、忘れ物はしない、遅刻はなし、決まり通り教科書を配置して、全員が、大声で笑顔で挨拶をする、給食は黙って残さず食べる、全員が黒髪などなど、学習や生活の方法、スタイルに至るまで、全員に一律の要求が課せられています。(学校スタンダード)人は、個々違っていて多様性を待っているのに。多様な条件は無視されたまま、自己選択、自己責任で一律の競争に動員されてことで、自ら多様な自分に合った生活を作り出せない様な状態に置かれているのです。刃が3枚か5枚かも選べないくらい生きずらい中で、子どもたちは、「いい子」で「ダメ子」とダメだしされないようにと生活しているように思います。疑問を感じる暇もないくらい・・・・・(ちょっと、誇張しすぎかもしれないけど、そんなことを考えました)
竹内さん、コメントありがとうございます。
疑問に感じる暇さえない――誇張ではなく、たぶんその通りなんだろうと思います。
親も先生もみんな、子どもたちのためを思っているはずです。でもこんなにも息苦しいのは、やっぱりどこか仕組みに無理がきてるんじゃないか、と。
選択肢を増やして、合わない場合は選べるようにする。シンプルにそうなれたらいいのになあ、と思います。
好きな方を選べばよい、子どもにこれが保障されたら世の中はどれだけ素敵になるでしょうか。
デンマークの教育の文献で
https://www.jstage.jst.go.jp/article/taiseikiyou/13/0/13_KJ00006934639/_pdf
①就学義務がなく,自分で学ぶ権利がある。
②中学 2 年まで試験を禁止している。
③ 一クラス 28 名以下と法律で定められており,全国平均では一クラス 19 名(1994 年)。
④公立学校の教育に不満があったり,公立学校が合理化で閉鎖されたときは,自分たちで私
立学校をつくってよい。
⑤ 行政はこの私立学校の経費の 75 パーセントを補助しなければならない。
⑥ 私立学校の教員は教員資格がなくてもかまわず,普通の人でもなれる。
⑦ 転校は自由。学区制はない。
…
なども驚きますが、
「デンマ-クには、そのような言葉は必要ありません。大切な事は人は誰もがノ-マルであって、そのように接し、行動することです」
などには感動します。
田中先生、コメントありがとうございます。デンマーク、素晴らしいですね。文献のご紹介もありがとうございました。
学校制度の特徴ももちろんですが、「管理」や「ノーマリゼーション」という言葉への反応は、本当に意識の違いを感じさせられました。こうであって欲しいなあ、と思います。