「お母さん、見守ってるだけじゃ
不登校は解決しませんよ」
これは子どもの不登校に悩む親にとって
最大のキラーフレーズだと思う。
そして数多くの人が完全に
「見守る」という言葉を誤解している。
「黙って腫れ物扱いで見続けること」
それを「見守り」だと勘違いしている。
(それ、違いますから)
そして再登校すること。
学校へ通えるようになること。
それを「解決」だと勘違いしている。
(それ、違いますから)
そもそもそんなちっちゃな話じゃないよ、
不登校って。
ウン週間やウンカ月の短いタームの
簡単・お手軽な話じゃないんだよ、
不登校って。
そして子どもの命に関わる話でもある。
そんなふうに矮小化しちゃいけない。
むしろ大人になっても続く、
何十年ごしの重い話でもある。
なんかね。
それを改めて思う記事だった。
大手リゾート企業に勤務しながら、2人の子どもを育てるさゆりさん(仮名・38歳)の体験談。前半では、小学校4年生から始まった不登校と行き渋りの葛藤と、大人になってから気づいた「親への思い」をお伝えしました。
前回記事に続く本記事では、心地よい場所を少しずつ模索していくさゆりさんの歩みをお届けします。いかにしてトンネルの出口へと近づいて行ったのか?まさに今悩める子どもたちと、それを見守る親御さんへのメッセージと併せて、お聞きしました。
――という内容だ。
ぜひ全文をお読みいただきたい。
お読みいただきたいのだけれど、、、
こうやって僕が書いたところで
多分ほとんどの人は全文読まないことも、
俺っちはよく知っている。笑
なのでそんな時間のない、
忙しいあなたのために
心優しい純ちゃんめが
個人的に響いた箇所を引用する。
最後の最後、さゆりさんから
今まさに我が子への対応に疲れている
親に向けてのメッセージのところだ。
「大人から子どもに、『ちょっと疲れちゃったよ』って、素直に伝えてほしい。私はこのインタビュー中に何度も、『親に本音を伝えたかった』と口にしてきましたが、同時に『親の本音も聞かせてほしかった』とも思うんです。母の表情から疲れを察すると、『お母さんが我慢しているから、私も我慢しなくちゃ』って、伝えたい言葉を飲み込んじゃうんですよね。
親御さんの『なんだか疲れちゃったんだよね』『正直、どうしてあげたらいいかわからないんだ』という気持ちと、お子さんの『それでも学校には行きたくないんだよね』という気持ちを、まずはお互いに差し出してほしい。そこから『じゃあ、お互いにどうしようか?』と会話を始めてほしい。
その瞬間は、何も響いていないように見えるかもしれないけれど……親が本音でぶつかってくれたという姿勢は、きっと子どもに届きます。その経験は、その先の長い人生にじんわり効いて、大きな支えとなるはずですから」。
「じゃあ、お互いどうしようか?」
その「本音の会話」がきっと、不登校の、
いや、日本全国津々浦々の親子に
決定的に・宿命的に足りていない。
そんな気がするのは僕だけだろうか?
って、かくいう自分もそうだった。
本音の会話なんてしてなかった。
親なんだから、子どもを
しっかり導かなければ――。
そうやって肩にチカラが入ってた。
完全に上から目線、導き手を自認してた。
ましてや「子どもが不登校」という
「超スクランブルな状況」だ。
アラート、アラート、アラート!!!
このままだとお先真っ暗、
不幸一直線にもなりかねない。
アラート、アラート、アラート!!!
「ここで親が救ってあげなければ!」
責任感と不安と心配、焦燥とで
完全に視野狭窄になっていた。
アラート、アラート、アラート!!!
今もそんなかつての僕のような
お母さん・お父さんは多いと思う。
でもね、違うんです。
親は子どもを導かなくていいんです。
親は子どもを導けなくてもいいんです。
「ちょっと疲れちゃったよ」
そんな本音を言ってもいい。
弱音を吐いても構わない。
親が我慢して「必死に見守ってる」。
これは子どもにとって最も辛いことなのだ。
「親という鎧」なんて脱ぎましょう。
脱いでもいいんです。
ゆるみましょう。深呼吸しましょう。
「立派な親」なんてやめちゃいましょう。
あなたが許可しなくても僕が許可します。
いーんです、立派な親なんかやめちゃって。
むしろ立派な親はやめたほうがいい。
「どうしてあげたらいいかわからないんだ」
正直に本音と弱音、出しちゃった上で
虚心坦懐、こう訊ねてみる。
「じゃあ、お互いにどうしようか?」
親が本音でぶつかってくれたという姿勢は、きっと子どもに届きます。その経験は、その先の長い人生にじんわり効いて、大きな支えとなるはずですから」。
今日も良い1日を。

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