誰のための卒園式ですか?

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「そんなことってある?」

っていう感じではあるけど、、、

これ、実は結構、
本質的な部分を抉ってるんじゃないかな。

そう思って読んだ。

一生に一度だけの我が子の卒園式。

ところがその感動の舞台が、
ピアノ伴奏が絶望的に下手な
レナ先生のせいで台無しになった。

最低の卒園式になっちゃった。

まるで息子の保育園生活を
汚されたような気がした。
最初で最後の卒園をめちゃくちゃにした
先生に謝罪をして欲しい。

「卒園式やり直しを園に訴えかけませんか」

クラスのLINEグループに投稿したユリと、
卒園式やり直しに賛同したママたちの話だ。

続きはぜひ読んでいただくこととして――。

「誰のための卒園式ですか?」

という問いに対しての、
ユリの答えが僕にはひっかかった。

誰のためって、そんなこと答えるまでもなく子どもたちや育ててきた親みんなのためですよね?

私たちは懸命に働いて子育てをしてきました。子どもの成長を見る機会を楽しみに、日々頑張ってきたといっても過言ではありません。その「成長」の証が卒園式であり、子どもたちの歌なのではないでしょうか? その楽しみを台無しにしたレナ先生の伴奏を、ケイくんママみたいな広い心で受け入れることは、やはり私にはできませんでした。

この気持ちはよくわかる。

よーくわかるのだけど、
やっぱりどこかズレている。

そして思った。

これ、子どもの不登校を受け入れられない
親の心理と、通じるものがないだろうか?

懸命に子育てをしてきた。

子どもの成長を見る機会を楽しみに
日々頑張ってきた。

その成長の証、それが卒園式や卒業式だ。

でもその楽しみを、不登校は奪ってしまう。

成長の証を感じられる機会が本当にない。

だから頭で理解できたとしても、
本音ではどうしても受け入れ難い。

親ならそんな心理が働いてしまう。

でも、だからこそ――。

ここにはしっかり向き合う必要がある。

……子どもたちがやり直したいって言ったの?

という、最後のユリの夫の言葉が沁みた。

こんな伴奏でかわいそう
こんな卒園式でかわいそう
それを決めつけてるのはユリだよね?
やり直ししないとかわいそうって……

子どもたちの卒園式を「ダメなもの」にしているのは
先生の伴奏じゃなくてユリ自身なんじゃないの?

これ、卒園式を不登校に読み替えると、
ぐっと来るものがあると思いませんか?

子どもの不登校をダメなものにしている、
それは親である僕ら自身じゃないのか、と。

もうひとつ。

これも響いた。

もしもトモキが大きくなって学校で合唱することがあってさ
伴奏担当の子が失敗しちゃったとして
それを責める子になって欲しい?

だったら先生の失敗を責めるんじゃなくて
その失敗をフォローするのが俺たち親の役割なんじゃないか?

いや、夫くん、アンタかっこ良すぎだよ!

「誰のための卒園式ですか?」

この季節、親はとかく
「集大成」を感じたくなる。

もっと言えば「親のエゴ」が
発動しやすいシーズンでもある。

でもセレモニーはセレモニーだ。
そして子どもたち自身のものだ。

親が愛でちゃいけないのだ。

それをね、忘れずにいたいですね。

今日も良い1日を。

P.S.
おまけです。昨日の絶景スタジアムの写真。ピッチの芝生と海と山と青空、という非日常感がすごい。
念願叶ったのだけど、しっかし風が強くてめちゃんこ寒かった……。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子の忍介は書字の学習障害と軽度の発達障害があり、小学三年生の時に不登校になりました(現在19歳・忍者好き)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。